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あれから、どのくらい眠ったのだろう。
いや、眠っていたのだろうか。何なのかが良く分からない。目の前には暗く蒼い、それでいて見えそうで見えなさそうなさざ波のような景色が広がっている。目の前? これは目で見ている光景なのだろうか。漂っているような、浮かんでいるような、沈んでいくような、ぼんやりとして、それでいてけだるい感覚が、徐々に実感となっていく。
深い霧の奥底から、どこからか遠くに響く音が小さな粒になって、硬く閉ざされた心の扉を叩く。ゆるやかに感じる空気の動きは、やがて少しづつ回りの塵と結合しあい、僅かに揺れる風が、何かを中心にゆっくりと渦を巻くように、呼び合い、手を取り合う。それから、どのくらい経ったかは分からない。だが、確かに、誰かが呼び覚ます声を感じることができるようになって、少し混乱した。
何だろう。興味と疑問とわずかな恐怖が、せりあがるような感覚としてはっきりと認識できるようになった。ほんのかすかな風を感じるのだが、なぜ感じているのかすら分からない。おぼろげな意識の中に吸い込まれていく塵の軌跡はほんのりと、だが確実にひとつの流れとして薄く淡い線を描き、その弧の中心に何かあるように思えた。
俺は? 俺は何なのか? 「何」? これを感じている主体を指し示す言葉が見つからない。いや、何かを感じ、何かを恐れていることは認識できても、認識している主体が認識できない。問いかけが問いかけを呼び、ただただ、だだっ広い、不可思議な空間の中でふらふらと存在している。存在? 俺は存在しているのか? 俺には俺が見えない。だが何かを確実に感じ、何かを思案している。
空間のゆらぎは、だんだん大きくなり、包み込むように明るくなるにつれ、寒さを感じるようになってきた。闇の奥深くから、呼ぶように、かすかに低い音が届く。まるで吸い寄せられるかのごとく、音の方向へ進んでいった。
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「・・・オールドタイプM491024J-1973、意識レベルまで到達しました」
無機質な女性オペレーターの報告を聞いて、リッセンは軽いめまいを感じた。
研究室の片方の壁全面に積み重ねられた機械の塊、そこから次々と吐き出される報告メッセージは、明らかに彼の情報処理能力を超えていた。やれやれ。そろそろ出番かね。
「言語中枢の機能オープンまで、残り75秒」
彼の目の前で、また新たな命が産まれる。いや、魂が呼び起こされた、という方が正確かも知れない。最初の頃はちょっとだけ感動したものだが、三十年も同じことを繰り返すと感情など湧きあがろうはずもない。従って、リッセンのオペレーションデスクの上には精神的なストレスを軽減する低純度ポテトチップスの袋やスナックの入った箱が散在しているのだった。リッセンにとっては、少しでも仕事のストレスを減らして往年のスリムな体を取り戻す方が、目の前のどこの誰かも良く分からない人間の復活よりはるかに大事なのだ。
日本政府プロジェクト「いたこ2号」。後に全人類、全星系を発展、そして混乱に導いた、俗に言う先祖がえりプロジェクトである。もっとも、政府の雇われ監視人であるリッセンにとっては、このプロジェクトが何であるかは考える必要がないし、考えるつもりもなかった。とにかく、言われたことを淡々とこなし、問題なく処理していくことが彼に期待された役割であり、彼もまたそこから一ミリもはみ出すつもりがないのだった。かくして、そこに発生した奇妙な共犯関係がのどかでハッピーな公務員ライフをリッセンに満喫させるシステムになっていた。
「表現機能が開放されました」
リッセンの前にあるホログラム・プロジェクターには、若い男性の顔が映し出された。歳の頃合はデータ通り二十歳ぐらい。黒い髪に、標準的な東洋人よりは白い肌。見ただけであれば普通の好青年のようだが、切れ長の目はやや鋭い眼光を発し、興味深げにこちらの様子を伺っている。男はやや混乱した様子ではあったが、それでいて落ち着き払っていた。気に入らない。普通なら、恐怖で取り乱す女や、興奮で意味の分からない言葉をまくし立てる中年男で、リッセンは常にそのプロトタイプに対して「不適」の回答をコンソールパネルに打ち出し、それで仕事は終了のはずだった。「不適」な素材は、また死の闇へと魂は返還されてゆく。だがたまに「プロジェクトに適した」個体が彼の仕事を増やす。面倒な話だ。ひょっとしたら、こいつは適した個体かも知れない。それでも仕事は仕事だ。仕方がない、パネルに向かってダイアログへとモードを切り替えるよう指示しよう。彼はわずかに白くなった頭髪をだるそうにかきあげながら、評価プログラムを始動した。
ホログラムに映った男は、興味深そうに、それでいて不機嫌そうにあたりを見回している。遺伝データと、経験。遺伝子の評価は石ころレベルでも、才能の開花を呼び起こす経験のスイッチが入ると、生物は覚醒し、その生物が構成する社会にその経験が普及するとその種の文明は次のフェイズへと進化を始める。自他共に石ころ担当を自任するリッセンの元にはどうにも使い物にならなさそうな個体サンプルばかりがあてがわれ、必然的に「プロジェクトに適した」サンプルはほとんど来ない。今回は暇つぶしぐらいにはなるだろうか。
「ダイアログ(会話)モードに切り替わりました」女性のオペレーター音が仕事の開始をリッセンに促す。その音が、リッセンを現実に引き戻した。さて、ぱっぱと目の前のをこなしてしまおう。
「お休み中のところを失礼した」リッセンは教科書どおりの言葉を切り出した。
「私はリッセンと呼ばれています。よろしくどうぞ」
「リッセン? というか、ここはどこで、お前は誰だい?」
「貴方の体の機能が回復するまで、私がお話いたしましょう」
「体? 機能? お前、基地外か? 何なんだ、これは?」
リッセンは心の中で軽く溜息を吐いた。また変な素材を掴んでしまったのかも知れない。女性オペレーターが脳内通信で「興奮度が上昇しています。冷静さを促してください」と指示してきた。分かってるさ。
「落ち着いてください」半ば、自分に説得するかのように、まだ立体映像でしかない男に諭す。
「順を追って、ご説明しましょう」
「さっさと説明してくれ。こっちは忙しいんだ」
「貴方は、2012年に、東京で事故死しましたね。そして、今私たちが今いる年代は、宇宙世紀346年、西暦で言うと3012年です」
「は?」
「貴方は、千年の眠りを経て、今ここに黄泉返ったのです」
「あ?? なんだ、そうなのか」
「ご理解頂けましたか」
「分かるわけねえだろう、バカかお前は」
いくらマニュアルで問答は定型化されているとはいえ、いざDQN本人を目の前にした時のストレスというのは尋常ではない。リッセンの心のどこかで起きた怒りの嵐は、まだ顔の表情にまでは到達していなかった。思わずポテトチップスに手が伸びそうになる。それでも、評価プログラムの結果は「適」の水準をクリアしていた。本来なら所見でさっさと廃棄処分にするところを、ちょっとした気まぐれで評価にかけてしまったことが、リッセンの今日最大の不運であった。
本当にこの個体が「適」なのだろうか。何度かコンソールパネルを操作し、再評価を繰り返すが、リッセンにとってはまことに不幸なことに同じ結果を吐き出した。個体のオリジナルデータを参照しようとして・・・備考欄に目がとまった。なるほど、そういうことだったのか。その太った腹をさすりながら、リッセンはちょっと考えてから何かを打ち込んでいる。
「おいデブ。黙ってんじゃねえ、先に話を進めやがれ」
やれやれ。だが未知の状況を前にして、これだけ悪態がつけるとはたいしたものだ。あまり評価プログラムというものは信用していないのだが、一応はこれに合格したものを採用するという方針が決まっている以上、リッセンに考えを挟む余地はなかった。
「貴方はいま、東京におり、私のいる地球軌道上のコロニーとオンラインで接続されています」
「何がどうなのか、さっぱり分からん」
「貴方の物理的な蘇生作業は今日中には完了する予定です。明日一日、東京にいるガイドの指示に従って行動してください」
「ちょっと待ってくれ。蘇生させてくれと頼んだ覚えは俺にはないぞ」
「その後、貴方にはこちらのコロニーに来て頂きます。それ以外の情報は、こちらのネットワークから提供されます」
「何でもいいから、理由を説明してくれ」
「はい、貴方には比較的高いレベルの情報アクセス権が付与されます。それを使って、必要な情報を収集してみてください。処理が済んだら、後ほどまた私がお相手を致しましょう」
「おい待て、ヘタレ糞じじい。そんなことなら最初から言いやがれってんだ。俺はどこの誰で、どうなってるのか聞いてんだよ。いい加減にしろ、この腐・・・」
半ば厄介払いをするように通信を遮断すると、男の立体映像は消え去った。これではまるで子供の喧嘩だな。リッセンの体には、かかる重力以上の重苦しさが襲っていた。コンソールパネルを閉じると、また無機質な機械音によるアナウンスが響き渡る。
「心肺機能、回復完了。全機能オープンまで約40分です」
今日のような放射線の強い日は、どうにも体躯がきしむ。どうやらそんなに期待できそうにない個体のようだが、まあ、どうにかなるだろう。失敗しても、政府の膨大な負債がまたちょっとだけ膨らむだけだ。こんなのを「適」と評価したプログラムが悪い。私には関係ない。とにかく今日は疲れた、定時で帰ろう。たまには寄り道しないで帰らないと、また妻に怒られる。明日にはまた新たな個体を審査しなければならないことだし・・・。リッセンは軽く伸びをすると、デスクの上で頬づえをついた。
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