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大コロニー・ニューメンフィスの裏路地は、きらびやかな表通りとは異世界だった。クリークの後をついていく俺の目には、ほぼ十歩ごとに立ちぼうけている夜の蝶が、蜘蛛さながらに魅力的なボディラインの分かる服とからみつくような視線とを糸にして獲物をかけようと競い合っていた。
「街の条例があって、彼女たちは通行人に声をかけたりしてはいけないことになってるんだよ」
クリークは人懐っこそうな目を笑いで満たしながら説明する。それでも、幅三メートル程度しかない路地を、クリークと二人並んで歩いて売春婦と物理的な接触なしに通過することは不可能だった。彼女たちが立っている背には、むき出しの鉄の壁が青黒く、ところどころ錆びて赤く続き、ビルの壁面のところどころに埋め込まれた街路灯がほのかな光を裏通りに投げかけている。時折、ビルの入り口に小さなロゴが光り、これは店なのだということが辛うじて分かる程度で、打って変わって人通りの絶えた裏通りは寂れた店のネオンと売春婦と俺たちしかいない、奇妙な世界だった。
路地を抜けると、突然開けた空間が目前に広がり、そこに滞留していた生暖かい風を感じて眩暈がした。正面には宮殿のような贅を凝らした下品でない程度の豪華さを施した大きな建物。
「あれだ。俺の行きつけ」
三十メートルほど向こうにある宮殿への道はきれいに茶色い塗装で整備され、その途中の立札には:
『君の瞳は魚の目亭 本日閉店パーティーにつき貸切中』
とある。
「おい、今夜は残念ながら閉まってるっぽいぞ」
「ああ、俺が借り切った。今日でニューメンフィスは最後なのでね」
「さしづめ、さよならパーティーってとこか」
「間違いない。さあ、入れよ」
大きな建物に相応しい大きなドアは、やはり鉄でできていたが、その素材感を感じさせないような木々や葉、鳥の彫刻によって彩られていた。どういう趣味なんだろうね。と思って近づく間もなくドアは左右上方に分かれて開かれた。
「おいっ」
ドアが妙な開き方をしたから入るのを躊躇したわけではない。この広い店内が異様だったからだ。でっかいカウンターに、手ごろな調度の椅子、少し高めのテーブル、そこまでは普通のバーのようだ。
しかし、客が−−異常だった。一番手前のテーブルに座って来客に気づき振り返った奴がまず毛むくじゃらの・・・熊。その対面に座って談笑しているのが、愛らしい黒ブチの牛。その脇でネズミの集団がにこやかに談笑し、左側の窓辺では黒いスーツをシブく決めたイルカが”一人”グラスを傾けている。その横を、ピンクのコスチュームを着たうさぎが立派な双角を戴く鹿から注文を取っており、その上に天井からぶら下げられた棒のようなものに腰掛けたカラスと鷹がジョッキでビールをあおっている。目が点になっている俺の足元を、イグアナのカップルが仲むつまじく寄り添ってビンを手に歩いていく。およそ百”人”はいようかという客のほぼ、いや、全部が・・・動物だ。
「どうした、あっちの奥にいこうぜ」クリークは、熊とハイタッチして向こうにすたすたと歩いていこうとする。他の動物たちも、クリークの姿を見ると挨拶代わりに自分のグラスを掲げた。
「ちょっ、ちょっと待て」俺は、店内に充満した凄い匂いに鼻をよじらせながらクリークを呼び止めた。
「ん?」
「ダン、何だここは?」
「何だって・・・俺が経営するバーだ」
「違う。これは動物園だ」
俺が口に出した”動物園”という単語に牛が反応した。
「おお、猿がいるじゃないか。珍しいな」
「わわ、牛が喋った!」
「当たり前だ。お前さん、ダンの友人かね」
「あ、ああ、まあな」
「じゃあ俺の友人だ! これを喰え!」
牛は手に藁を取り、俺の目の前に差し出した。しかも、知らない間に友人にされてしまった。驚きで目がしばしばする。あらゆる光景が衝撃的だ。しかも藁は臭い。
「おいおい、こいつは俺の友だちで、祖先だ。藁は喰わねえよ」
クリークは笑って俺をバーカウンターの一番手前のところへいざなう。親しげな牛に飯を勧められて心臓が激しいダンスを踊っている俺にとっては、抜けそうな腰を勇気付けながらひょこひょことクリークの後ろをついていく他なかった。振り返ると、ちょうど到着した赤い犬の”四人”連れが、肩を組みながら入店してくるところだった。
ありえん。そう思いながら、クリークの隣の席に腰を落ち着けると、目の前にタキシードを着た象が軽やかな手つきでシェイカーを弄んでいる。
匂いにようやく慣れてきた俺は、クリークに小声で訊いた。
「なあダン、今夜は仮装パーティーか何かなのか?」
「馬鹿を言え。何を飲む?」
「この状況でのんびり飲んでいられるかっ」
「短気な奴だな。・・・そうか、お前はニューメンフィスに来て間もないのか」
「というより、生後二日だ」
なるほど、という顔をして、クリークはバーテンを呼んだ。
「じゃあ、お前は俺のために働くんだな」
「何だ、それは」
「そう怪訝な表情をするな。いま説明してやる・・・ああ、スコッチをロックでふたつ・・・どこから教えようかな」
「まず、お前のことが聞きたい」
「俺か?」クリークは不敵に笑った。
「俺は、遠い星で生まれた、独立商人さまだ」
「遠い星・・・開発星系?」
「まあ、そんなところだ。ありとあらゆる金属素材を使った精密機械の専業ブローカーをやってる」
「経営者か?」
「そうだ」
思い当たる節がある。
「駅でみかけた、クリーク商会というのはお前の会社なのか?」
「ほう」クリークは目を細めた。「良く知っているな」
「たまたま広告が出ていたので知っていただけだ。だが、クリーク商会の経営者であるお前のために働くといったな」
「そうだな」
「ということは、俺はこれからサラリーマンになるのか?」
うさぎがトレイにスコッチをふたつ持ってきた。クリークは颯爽とそれを取ると、俺の前にひとつ置いた。
「お互いの、将来のために」くさい台詞とキザっぽい仕草でグラスを掲げるクリークだが、嫌な雰囲気はしない。不思議なものだ。
「俺のために働くといっても、俺の会社で働くわけではない」
「何だ何だ?」スコッチに口をつけると、ほのかな香りが鼻の中に広がった。少しだけ、懐かしい匂いがした。
「宮本、君は生後二日といったな」
「そうだ」
「プロジェクト『いたこ』で復活したのだろう」
「何故知っている?」
「あれは、我が社も出資しているプロジェクトだ」クリークの瞳が、青く輝く。
「ということは、俺はお前の会社の所有物ってわけか?」
「そう話を急ぐな」クリークは少し笑いながらグラスの茶色い液体を飲んだ。「君はなかなか賢いな。いい船長になりそうだ」
「この数日、俺はほとんど自分の事情について知らされずに、驚かされっぱなしだ」俺は正面を向いてカウンターに両肘をついた。「これから自分がどうなるのかすら分からん。社会は変わり、魔法のような技術を見せつけられ、猿と呼ばれ、挙句の果てに俺の生まれた街は海の下に沈み、そして地球は赤茶けた大地と黒い海の死んだ惑星になった」
既に酒の入っている俺が一気にまくし立てたその言葉一つひとつを、クリークは穏やかな微笑とともに聞き入っていた。
「いま俺は、木星の軌道上にいるという。俺の時代では望遠鏡の中でしかなかった世界だ。HALでもいるのかと疑ったぜ」
「それより、君は自分の生きてきた社会から突然引き剥がされて、不安なのだろう?」
「そうだ・・・それに不審だ。何故俺であるかが見当もつかない」
「にわかには受け入れられないかも知れないが、君は幸運に感謝すべきだよ」
「・・・」
「死は、誰にでも訪れる。俺だって、いつかは死ぬだろう。明日死ぬかも知れない。そして、君は一度死んだ。俺たちが、逆立ちしたってできない経験を君はしている」
「何故だ。千年前に死んだ俺を平気で生き返らせる技術をこの時代は持っている。経営者である君が望むなら、不老不死だって夢ではなかろう?」
クリークは哄笑した。「はっはっはっは、結論を言おう。それは無理だ」
不思議と、さっきまであれほど不快に感じていた匂いに慣れたのか、もうあまり気にならない。不意に背後に風を感じると、クリークはその風の主に挨拶をかけた。
「よう、”疾風の”ホセ。遅かったな」
「ああ、手続きに手間取ってしまってね」
振り返るとそいつは・・・黒鹿毛の馬だった。クリークは馬と親しげに握手をすると、俺を挟むように馬は俺の隣に座った。
「彼はうちの優秀な社員にして船長、ホセ・ピディエロだ」
「よろしく。”疾風の”ホセと呼ばれてる。何でか知らないがね」
ピディエロは手を差し出した。蹄じゃない。ちゃんと指がある・・・驚きだ。握手をすると、ピディエロの暖かい大きな手が、俺の手のひらを包み込んだ。これが本当の馬面というものか。眉毛もある。そのシャープそうな身体はグレーのスーツを着こなして、顔が馬でさえなければ立派なビジネスマンとしても通用しそうだ。
「彼は『いたこ』で生き返った宮本だ」
「宮本幸司。職業は迷子だ」
「よろしく」
「生き返ったということは、他の星に?」
「そう聞いている」
ピディエロは器用に指でパチンと大きな音を鳴らすと、ジョッキビールを頼んだ。
「じゃ、うちで働くんだ?」
「どうもそうらしいな」
「うちのボスは気さくだが、金にはうるさい。気をつけるんだな」ピディエロはウィンクした。
「忠告はありがたく聞いておくよ」そう言うしかなかった。「だが、俺は知らないことが多すぎる。何を聞いていいのかも分からんという感じだ」
「そうは思わないね」とクリーク。「君は、我々の知らない地球が青かった頃を知っている。それで充分じゃないか?」
「そうかもな」昨日のような千年前を思い出した。「で、俺はどうすればいい」
「簡単に説明しよう」青い目は俺をずっと見据えている。「君は、我が社が出資した日本政府のプロジェクトで復活した」
「そうだな」
「これから君は、やはり我が社が用意する探査船で、まだ開発されていないが生物が住むのに適した惑星を捜索してもらう」
「それはどこにあるんだ?」
「それは俺にも分からん」クリークは首を振った。「六百光年か、千光年かはたまた一万光年か、そのぐらいの旅になる」
「ちょっと待て」
「どうした」
「その船は、光よりも速く飛ぶのか?」
「いや。せいぜい光速0.4といったところだ」
「ということは、千光年としても二千五百年かかるってことだろ」
「まあそうだな」
「何百世代も、その探査船とやらで生活するのか?」
クリークとピディエロは激しく笑った。意外な質問だったらしい。
「そんなわけないだろ」とピディエロは俺の肩を叩く。
「まあ、その辺はじきに分かるさ」クリークは爆笑で涙目になっている。「だが、地球から遠く離れた星へ行ってもらうのは確かだな」
「なんだか釈然としないが」俺は腕組みをした。
「とにかく、俺の金で船を出し、ついた星を君は開発する。うまくいったら、俺は君の開発した星の、生産物を独占して交易する権利を持つ」
「なに?」
「君も、千年前の人間なら、大航海時代を知っているだろう」
「ああ、スペインとかポルトガルとかイギリスとかがアメリカやアフリカ争奪戦をしてたあれだな」
「そうだ。その当時は、ヨーロッパでは深刻な飢饉が起きていたという。食料を巡って、戦争が繰り返された時期だそうだ」
「ドイツのじゃがいも飢饉とか習ったな」ふと思った。「・・・いまの地球と同じだ」
「察しがいいな」ピディエロは満足そうに嘶く。
「だが、違うところも多い」クリークは空になったグラスを見詰めながら言う。「例えて言うなら、ヨーロッパには人が住めなくなったんだよ」
「ふむ」
「だから、ヨーロッパにいる王様は、人を全て送り出そうとした。ところが、送り出す金が無くなった」
「で、戦争か」
「おおよそ、そんなところかな」
「つまり俺はセルバンテスってことだ」
「雇っている俺は、ポルトガルの王侯貴族ってことで」
「じゃ、裏切るのは金鉱山が見つかってからだな」
クリークは笑った。心から楽しそうな声で。
「いや、君を未開発星系送りにするのが、つくづく惜しくなってきた」
「そいつはありがたいことで」
ピディエロは、そっと席を外した。気を利かせているつもりなのだろう。彼の上を、鷹が飛び回っている。
「未開発星系ってのは、困難の多いところだ。成功率も低い。君なら何とかなる気もするが、そうならない可能性は高い」
「待った、これはデートのお約束かい」
「リクルート活動といってもらおう。開発は一筋縄ではいかないぞ。地球と違う重力、地球と違う自然、地球と違う太陽光、大気、海、いろんなものに対処しなくてはならない。災害が起きても、誰も助けてはくれない」
「・・・」
「開発に成功しかけても、移住した人間の家や施設、法律、研究所、政治経済、いろんなものがのしかかる」
「そうなったら、お前だって投資を回収しなきゃならないんだから力は貸してくれるんだろう」
「可能な限りはする」クリークは眉を歪めた。「だが、限定的なものだ。お前は日本人で、プロジェクトは日本政府のものだ。開発星系は日本領になる」
「ということは、日本政府の決定に準じていればそれほど問題は起きないのではないかい」
「いまの地球は、各国政府の役割がかつてとは違う。いわば地域代表として地球連邦政府の言いなりになるしか術はない」
「ふむ」
「開発星系がかりにうまくいったとしても、エネルギーや食糧不足に喘ぐ連邦政府に物資を吸い上げられるだけの存在になるケースもままある」
「重税に喘ぐ農民みたいだな」
「だから、最後には蜂起し、叛乱を起こす。鎮圧され、滅ぼされることもある。そうなってしまうと、俺にはどうにもできない」
「未開発星系に送られる奴には、困難しか待ち受けていないんだよ」心なしか、沈痛な面持ちのまま、クリークは話し続ける。「苦労して、木を植え、畑を耕し、治水をし、山を削り、物資を作る。その大半が、他者のものになるとしたら、どう思う」
「真面目にやる気がなくなるな」
「重税が課され、吸い上げられる。何かことがあるたびに、緊急徴用と称してまた持っていかれる。戦争が起きると戦時税制が敷かれてさらに取られる。不満を思っても口に出すこともできない。暗殺されるかも知れないからだ」
「だが、そんなどうしようもないシステムにお前は乗っかり、投資している。何故だ」
「俺には三百万人の社員を養う義務がある」
「動物園じゃなくてか?」
「それもある」クリークは伏せ目がちにふっと笑った。「だが、それだけじゃない。三百万の社員がいるということは、その家族も含めれば軽く千万は超える。彼らの生活を、俺は支えなければならんのだ」
「その一人に、俺になれというのか?」
「そうだ。恐らく君は能力がある。だらしのないニュータイプの連中の大半にはない、何かを持っている。この時代に慣れれば、きっとその<力>を発揮するはずだ」
「お前は俺のお袋か。さっき会ったばかりなのに、何を知った口を叩いてやがる」
「いや。俺は君を 知 っ て い る んだよ」
「は?」
「君の過去も、その可能性も知っている。君を選んだのは俺の考えを忠実に真似た、評価プログラムだ」
「なるほど」得心がいった。「お前は、自分が投資する先に送り込む人間を自分と相性のいい奴に絞り込んでいたというわけだ」
「だから、君はきっと、うまくやっていける」クリークは、俺の肩に手を置いた。
「ああ、未開発星系でな」
「・・・」
「俺は、お前の会社には入らない」
「何故だ」
俺は、グラスに残った最後の一口を飲み干した。「それが、お前の役に一番立てそうだからだ」
二人はしばらく黙っていた。騒々しいはずのバーが、何故か静かに聞こえた。
「ダン、未開発星系の開発は、成功する可能性が低い、といったな」
「ああ」
「じゃあ、俺はそっちを選ぶ」
「・・・」
「あの荒れ果てた地球を戻すのは俺にはできないが、新しい大地を緑にし、守ることなら俺にはできそうだ」
「本当にできるか」
「やってみなければ分からん。どうせ一度死んだ身だ。お前の言う、俺の<力>とやらを試してみたい」
「なるほどな」クリークは笑った。「どうやら、俺は投資を回収できそうだ」
「この俺を選んでくれたことには、率直に感謝するぜ。だが、復活した以上は俺は俺の生きたいように生きる」
「苦労するぞ」
「それは俺の道だ。仕方がない」
「そうか」クリークは俺から目を離した。「では、すぐにでもそう手配しておこう」
「よろしく頼むよ」
「最後に、やる気の出る話をしてやろう」
「何だ」
「理沙は生きているよ」
俺は椅子から立ち上がるやいなや、空のグラスをつかんだままのクリークのむなぐらをつかみあげた。バーにいた客の全てが会話をとめ、静寂が広がる。
「どこにいる?」
「それが人にモノを訊く態度か?」
「どこにいる?」
「・・・知らん」
「そんなわけないだろう」
「知らんな。だが、生きていることは知っている」
「どういうことだ」
「勝ち取ることだ」
「何?」
「いずれ、分かる日が来るだろう・・・宇宙の理を」
「理解できるように説明しろ」
「俺は君の全てに、期待している」
クリークの手から、透明のグラスが滑り落ちる。床でグラスが割れる音とともに、目の前に広がっていた風景もまた、落としたステンドグラスのように砕け散った。さっきまで喧騒に包まれていた豪奢なバーは、たむろしていた動物たちとともに煙のように消え、俺はニューメンフィスの、ただだだっ広い空き地のど真ん中で立ち尽くしていた。
掴んでいたクリークのぬくもりをこの手に残したまま、しばらく呆然としていた。幻想を見せられたのだろうか。いや、俺は試されたのだ。そう思った。俺の足元には、クリークが落としたグラスの破片が、銀河に散らばる星のようにほのかに透き通る白い光を投げかけていた。
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