Link TO the stars
Chapter 1-14

「しまったぁ!」

 ミグは飛び起きた。傍らに置いてあった時計は、無情にも0715を指している。完全に遅刻だ。ピンクの豚があしらわれた掛け布団を勢い良く蹴飛ばすと、周囲にあるものを全てをふっとばす台風となって、暴風のように階段を駆け下りた。廊下にあった植木は倒れ、飾ってある額縁は傾き、階段にわずかに積もった埃は高々と舞い上げられる。

 台所に通じるドアを叩き開けながら叫んだ。

「ママ! 朝ごはん!」

 リビングにある窓からは、人工的なニューメンフィスの朝がこぼれ落ちていた。

「ママ、もう出かけたんだわ」

 台所のメニューには、シンシアが設定した朝献立が押すだけの状態で待ち受けている。0633という打刻があり、感動的な母娘の再会は果たされなかった。せわしなくコンソールを叩き朝食の支度を指示すると、台風は依然勢力を保ちながら洗面所へと向かった。

 驚くべき速度でミグは自らの歯を磨き、顔を洗い、口をゆすいだ。髪をとかす作業と寝巻きから制服へ着替える作業はこれ以上ないという効率で同時処理される。まさに熟練の技である。

 仮に遅刻が確定したいまとなっても、朝飯は喰う。それがミグのこだわりであり、譲れないポイントであった。配膳口に殺到したミグは、そこではたと気がついた。

「今日から・・・臨時休校だったんだ」

 台風は熱帯低気圧へと変わると、赤い髪をかきあげながら、食卓にぽすんと音を立てて座った。

「何だこれは! 植木がひっくり返ってるぞ! 台風でも通ったのか!」

 階上から声がする。どうやらリッセンが起きてきたようだ。植木の土がこぼれているらしく、ハウスクリーナーの音が聞こえる。「何で俺は朝っぱらから飯も喰わずに仕事してるんだっ」ぼやく声も聞こえる。ミグはちょろっと舌を出すと、そっとコンソールで父親のために朝食の手配をしてやった。

--

「学校、休みなのか」
「うん」

 ホステトラー家の静かな朝食は、今日も一人欠けていた。リッセンは、朝はあまり機嫌が良くない。ミグも、なるだけ父親に話しかけないように心がけている。しかし、今日は少しばかり事情が違った。たるんだ腹をさすりながら、リッセンは朝食を平らげて着替えるべくドレスルームへ行こうとしたが、娘の視線を感じて振り返った。

「どうした」
「お父さま、痩せた?」
「そうでもないな」
「ううん、絶対痩せた」
「そうかな」

 リッセンは、朝はあまり表情を見せない。が、わずかな顔の筋肉の動きが「嬉」という感情を表していることを、ミグは見逃さなかった。食後のお茶を飲みながら己の肢体をにこやかに眺めている娘と目が合う。その不純な意図に気づいたリッセンは問うた。

「学校、休みだったな」
「そ」
「・・・小遣いか?」

 熱帯低気圧はその一言を待っていた。

--

 思わぬ臨時出費に見舞われ、さらに不機嫌になったリッセンが職場につく頃には、完全にリッセンの顔からは人間らしさが消えていた。巨大コロニー・ニューメンフィスを回す歯車。その小さなひとつに徹したリッセンは、家庭人のそれとは全く異質なものに変化していた。

 今日も退屈な、いつもと変わらない一日が始まる。そう思うと、リッセンの心の中には十六トンの重りがぶらぶらと揺れてしまう。いつもどおり庁舎の入り口を通り、二階にある自分のオフィスへと向かっていく。朝の通勤は、ことのほかリッセンの心を暗くする。オフィスに入ると、彼の上司が声をかけてきた。

「おはよう、ホステトラーさん」
「おはようございます」
「今日の予定表が更新されていますので遺漏なきようお願い致します」

 機械的で冷たい声を発するこの女性は、リッセンよりもかなり若い。リッセンとしてはこれが生身の人間の女であるとはとても思えないが、れっきとした三児の母だった。働く母親は強い。生涯でほぼ毎日、職場で家庭でそのことを思い知らされる。それでもこの非人間的なこの上司は家庭でどんな生活をしているのだろうとリッセンは不思議に思うが、リッセンもまた、彼が家庭でどんな父親なのかという想像を同僚に巡らせるぐらい退屈な男と思われていた。

 リッセンが自分の席につくなり、連絡が入った。研修館入り口に来いというのである。そこまで言われて、一昨日久しぶりに自分が蘇生を担当した男がニューメンフィスに来ることを思い出した。リッセンは面倒くさそうに首をぐるっと一回転させると、のんびりと研修館へと足を向けた。

--

 男は、ぐてっとしていた。部屋がどことなく・・・酒臭い。明らかな二日酔いと思われる、充血した目、青白い顔、定まらない視点、はねた髪、あらゆる要素が「深酒してました」というオーラを発している。

「宮本幸司さんだね?」リッセンは、溜息をつくのを何とかこらえてマニュアルどおりに話しかけた。
「ああ」男が吐く息がリッセンの鼻元に届くと、アルコールの分子がその嗅覚を強く刺激した。
「貴方にはこれから研修を受けて頂きます」
「それは知ってる」
「その研修の目的は・・・」
「それも知ってる」
「何故、ご存知なのです?」
「親切な人たちがいろいろ教えてくれてね」

 リッセンはマニュアルが通じない作業は好きでない。露骨に不機嫌そうな表情をした。

「そうですか、では、その他必要なことは教官に説明を受けるなどして把握してください」
「あ、おっさん」宮本はぐいとリッセンに顔を近づけた。「俺、お前のこと、覚えてるぞ。蘇生する前にお前の夢を見たぜ」
「そうですね。私が貴方を担当しましたから」
「違うだろ。評価プログラムが俺を選んだんだ」

 何故、それを知っている。眉をひそめる。しばらく、リッセンと宮本は見詰め合った。

「まあ、とにかく」沈黙に耐えられず、リッセンは話し始めた。「これから教室にご案内します」
「それより、いくつか聞きたいことがある」宮本は睨んでいる。「俺は、クリーク商会に選ばれたのか?」

 ことここに及んで、リッセンはこの男の目の奥に潜む何かに気づいた。そう思うと、リッセンの背筋から何か冷たいものが湧き上がってくるのを感じる。

「どうした。本当のことなのか」
「・・・そうです」
「俺が送られる星から得られた収入は、クリーク商会を通じて地球に送られる。間違いないな?」
「何故、それを」
「昨夜、ダン・クリークなる人物と飲んだ」
 リッセンは、思わずあごを引き、少し上目遣いに宮本を見た。「いま、何と?」
「ダン・クリークと酒を飲んだと言っている」
「・・・金髪の?」
「そうだ」

 リッセンののど仏が、上下に移動するのが見える。何かを知っていそうだ。

「その前後に奇妙な体験をしたので聞いておこうと思ってな。一体あれは何者だ」
「ダン・クリーク。何かの間違いではありませんか?」
「そんなはずはない。小一時間ぐらいだったが、確かに俺は奴と一緒にいた」
「彼はですね」リッセンの唇がわずかに震えている。「死んだんですよ」
「何?」
「もう十五年前に、死んだのです」

--

 宮本を教官に引き渡すまで、リッセンは震えが止まらなかった。何かの間違いだろう。もしくは、名前を騙る人間に宮本は謀られたのだろう。そう自分に言い聞かせても、リッセンの衝撃は消え去らなかった。

 ダン・クリーク。星系間交易を一手に行う大企業にして、民間では最大規模の船団を有するクリーク商会の創業者。一代で巨万の富を獲得し、宇宙世紀を代表する企業家である一方で、病的な冒険(リスク)を好む探険家でもあった。

 さまざまな星系を探索しては、入植可能な惑星を次々と発見し、政府から移民を手配しては開発を行い、その利権を掻っ攫う。クリークが存命中は、いかな地球連邦政府といえど手は出せなかった。むしろ、共存共栄を図り手厚く庇護していた。

 人類の貿易の拠点であるニューメンフィスでもっとも勢いのある商人集団であり、独立不羈を象徴していたクリークを止めたもの、それは一発の銃弾だった。新しい星系の開発に成功したという記者会見をニューメンフィスの支店で盛大に行った後、記者に囲まれて建物から出るところを、凶弾が彼を襲った。

 彼の頭を貫通した弾丸は、すなわち即死を意味した。衆人環視のなかクリークを射殺した犯人は、その場で服毒して果てた。その後、クリーク商会は連邦政府に蘇生の申請を出し、その費用全額を自社で負担する旨申し立てたが、受け入れられなかった。

 真相を解明するべく連邦情報局により特捜班が結成されたが、程なく判明したのはクリーク商会の組織的な犯罪であった。自社が開発した星系を舞台とした大掛かりな犯罪の全容が明らかになるにつれ、国民の間で席巻した澄明なクリークのカリスマ性は地に墜ち、連邦政府はダン・クリークの全データの抹消を決議した。自らの蘇生に必要なデータを削除されてはクリークの復活は絶望的であり、残されたクリーク商会の幹部たちは様々なロビー活動を通じてこの判断を覆すべく努力したが、逆にロビー活動の違法性をあわせて指摘され、無期営業停止処分に処されて万事休したのである。

 特捜班は、最終的な捜査報告において、ダン・クリークの射殺の原因は犯罪組織内での利権争いによるものとして、捜査を終了した。クリーク商会のほとんど全ての資産は没収の憂き目に遭い、そのコングロマリットは事実上解散に追い込まれる。

 一方で、クリークが培った開発星系の人脈は死ななかった。まるで主人の死んだ穴を埋めるかのように、各星系に散っていた社員たちが一つずつ会社を興し、助け合い、寄り添いながらクリーク商会を復興させていったのである。在りし日のクリークが作り上げた最盛期には遠く及ばないものの、星系間貿易の大手の一角として、クリーク商会は復活を遂げていった。いまでは、信用を回復し、こうして政府プロジェクトに出資するまでになったのである。

 子供のいなかったクリーク家は、その死をもって完全に断絶した、はずだった。しかし、宮本の見たというダン・クリークが本物だったとしたら、どうなのだろう。そんなはずはないと思いつつ、リッセンはいくつかの可能性に思いを巡らせていた。

 少なくとも宮本は、強がりはしても無意味な嘘をつく男ではない。当然背後関係もなく、純粋な秋田男児(いなかもの)以外の何者でもない。それでもクリーク商会が指定した評価プログラムが”適”と判断した男が宮本だ。もし、万一、仮にクリークが生きていたとしたら、自社のプログラムが良いと判断した男が開発星系に送り込まれる前に見てやろうという気になるかも知れない。だが、それは生きていると仮定してのことだ。それに、地球連邦の諜報網がクリークの復活を察知できないはずがない。

「まさかな」リッセンは口に出して、何とか自分を説得しようとした。
 そして、リッセンは平凡な一日へと背中を丸めて戻っていくはずだった。

 この時点では、まさかリッセンは評価プログラムそのものが、ダン・クリークの人物鑑定を忠実に再現したものであるとは知らなかった。

「いや、もしかして」逡巡するリッセンの顔は、いつしか職場のそれと、家庭のそれとが、交互に、そして悩ましげに錯綜した。

preview top next