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Chapter 1-15

『まあ座りたまえ。君の目の前には肉がある。君が思うだけ取って行くといい。

ところで、その前に、君に知っておいてもらいたいことがあるんだ。生物が生れ落ちたその瞬間は、凄い可能性を秘めている。まさに、無限の可能性だ。僕も君と同じく可能性を抱えて生まれてきた。

その数多ある可能性のわずかなひとつが、この君と僕との出会いだ。肉を持っている僕、肉を求めている君。生まれたときに、こんな事態が訪れるなんて、君は想像したことがあるかい。そのかわり、多くの可能性を棄てながら、僕らは生きているんだ。

いまそうして、君が一心不乱に肉を食べている間も、君は他にしているだろう可能性を失い続けているんだ。そして、その可能性がなくなった瞬間が、死ということを、君は理解できるかい。

 僕は、君にこの肉と、その未来をあげよう。ただ、いま話したことだけは忘れないで欲しい』

−−スティーブン・ハイアット「出会いの言葉」より

 

「ようよう、親愛なる我が級友宮本君、ようこそ我がクラスへ」

 騒々しい初芝が、俺の姿を認めて手招きしている。これが研修室。ずらっとコンソールと言われるパソコンのような機体が並び、約四十人ほどの学生服姿が整然と座っているのが見える。まるで高校に入学した時のような既視感がまとわりつく。その一角に、見知った四人組が陣取っていた。

「転校の挨拶とかはしなくていいのかね」

 俺は他にすることもないのでとりあえず園川の隣にあるシートに腰掛けた。すると、にわかにコンソールが起動しはじめ、画面に文字がスクロールしてくる。

 小宮山が振り返る。「ああ、いまは休憩時間だ。これから地獄の座学漬けが始まるんだぜ」
「俺たち授業についてくのに精一杯だよ。こんなにつらいんなら生き返るんじゃなかったな」堀が縁起でもないようなことをぼやく。
「死んでるぐらいなら勉強でもしてるほうがまだましってもんだ」
「宮本ぉ〜、そういっていられるのもいまのうちだぞ」
「俺たち、ただでさえここの落ちこぼれ集団だもんなあ」
「堀! 滅多なことをいうもんじゃない! 今日から我がクラスのビリという栄誉ある地位に宮本が立つわけじゃないか。ちっとは感謝しろ」

 どうも昨夜は飲みすぎた。頭がぐらぐらする。

「うーん、こんなんじゃビリだと言われても文句は言えねえな」
 園川がもっさりと俺を見る。「大丈夫。嫌でも集中できるさ。どんな二日酔いだったとしてもな」
「そういうもんなのか」
「やってみれば分かる」
「そうとも、俺たちが受けるのは地獄の猛授業なのだ!」

 昨夜はあんなにあっさり撃沈した初芝なのに、その声はやけに明るく騒々しい。それでいて、いつの間にか自分を取り巻いていた不安や恐れというものが、かなり軽くなったような気がする。俺が気にしていた謎は、消え去るどころか深まるばかりだったのだが、いつしかどうにかなるのではないかという楽観が芽生え始めていたのも事実だ。

 そんな楽観は、あっさりと吹き飛ばされた。

『間もなく授業再開です。着席し、準備に入ってください』

「なんだなんだ」
「ああ、別に何もすることはないよ。前を向いて座っているだけでいい」
「そうか」

 園川の、やけにのんびりとした口調がかえって俺を緊張させる。ほどなくして、コンソールパネルが白く輝き、黄色や赤や緑に点滅する点がちらつき、点は波になり、上下に左右に広がる振動となって俺の視界を占領していった。

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「だめっ、あたし、もうだめっ、倒れる」
「チェロニー! 気合だ、あと少しよっ」ミグもまた、苦しそうな表情で弱々しく励ますことしかできない。
「あたし・・・あたし・・・」切なげなチェロニーの声が聞こえるが、ミグは自分のことで精一杯だ。とても助ける余裕などありはしない。時間も恐るべきスピードで迫っている。
「深く息をしちゃだめ! 胸の上のほうだけで軽く吸うんだよ」
「ここを超えたら、もうすぐだよね?」
「うん、あと10%」
「えーっ、もう、あたし、・・・無理・・・ごめん」既に隣の椅子でテーブルに突っ伏しているミーロにもたれかかるようにして、チェロニーは脱落した。
「こうなったら・・・あたしだけでも半額にしてやる!」次々と戦友を失うなか、ミグは再び闘志を茶色い瞳に燃やした。

 ここは、ニューメンフィス・アルバート通りに面したケーキ専門店”アストロ・カフェ”。伝統あるこのケーキ店の歴史は、聖ライコス女学院の生徒たちの血と汗と涙によって彩られていた。

 この店自慢のプチケーキ二十五種類。ちょうど一口サイズかそれよりやや大きいこの魅力的なケーキたちは、常に誇らしげな顔で挑戦者を待ち受けているかのようだ。シナモンから始まり、甘いストロベリー、ちょっと酸味の利いたライム、とろけるようなクリームショート、さっぱりした抹茶、濃厚なチョコチップクッキーなど、手ごろにデコレートされたその美しい姿をケースの中から覗かせている。

 しかし、それ以上に彼女たちを奮い立たせる文句が壁に貼ってあった。

『二十五種類、全部を一時間以内に召し上がられた方、半額 店長』

 これが、聖ライコス女学院の戦いの原点である。普通に食べると十個も口に運べば充分に満腹である。だがそれは、残る十五個の味を楽しむことなく店を後にすることを意味した。休みが月に二日しかない生徒たちにとって、次いつ残りの味を楽しめるか分からない。生徒たちの間で、これはうまいと伝説になったモカカスタードケーキ。喰いそびれた生徒たちは休みが訪れる日を指折りにして待ち、店に殺到したとき既に商品ラインナップから消えていたことの落胆といったらない。

 だからこそ、彼女たちは当日のウォーミングアップを欠かさない。朝は軽く食べ、昼はウィンドウショッピングやホロムービーなどを楽しみながら、腹の虫を養殖する。それが合唱するかしないかといったタイミングで入店するのがコツである。早すぎても遅すぎてもならない。それが、過去に全行程を踏破した歴代の剛の者が伝えるアドバイスであり、挑む者はすべてそれに倣った。

 何より体格に優れるミグは確かに有利ではあったが、敢闘及ばず二十三個目での轟沈を繰り返していた。自分でも、伸び悩みは自覚している。才能の限界を感じるとき、人は努力を苦と思わなくなる。日々ケーキをイメージし、また少しでも胃袋から十二指腸に内容物を送り出す思念を会得すべく修練を怠らずこの日を迎えたのだった。

 それでも、二十三個目のプチシューボンボンはキた。

「くっ・・・この柔らかで歯ごたえのあるシューに入った、滑らかにとろける、しかも念入りに泡立てたがゆえの肌理の細かい、すんなりと口の中に広がるクリーム・・・さらにその後にじわっと漏れ出る大人の香りを引き立てる強いアルコールの、しかし下品でないウィスキーの濃厚な味わいがっ・・・でも、ここで倒れるわけにはいかないっ」

 残り時間はあと五分を切った。先行逃げ切り型を金科玉条とするミグは、前半飛ばした分だけ最後の直線での切れ味に乏しい。ちらりと視点を脇にやると、すでに果てたミーロとチェロニーが無残な姿を晒している。他の客も、各々ティーカップで紅茶の芳しい香りを楽しみながらミグに視線を集中していた。

 それでも自己新を塗り替えたミグは、その勢いを残したまま二十四個目のカスタードプリンケーキの琥珀色をした身体を飲み込み、最後の難関、王道の中の王道であるストロベリーショートケーキに手をかける。息も絶え絶えだがなお闘志を失わないミグの雄姿に、店内にどよめきが起こる。

 ミグの健闘に驚く客の声に気づいたミーロが顔を上げた。彼女が見たものは、震える手に持つフォークをショートケーキに突き立てる、戦うミグだった。口の回りをクリームだらけにしたまま、修羅の表情で少しずつパンケーキを顔に運ぶ。蒼いオーラがミグから立ち上っているかのようであった。

 最後の最後、深紅に輝く大粒のストロベリーがミグの口の中へと消えると、店内は拍手と歓声をもってその勝利を称えた。甲高い口笛が鳴り響き、満面の笑みを湛えた店長が、その肥え太った身体に似つかわしくない”アストロ猫”の記念ペンダントと、殿堂入りの肖像を残すための古びたカメラ、そして三人分の強力胃薬を抱えて歩み寄ってくる。

「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう!」

 店全体がスタンディングオベーションで埋め尽くされる。ミグは、その達成感と感動でしばらく呆然としていた。それでいて、店長にカメラを向けられるとクリームも拭かずにフォークとナイフを両手に持って、無意識にちゃっかりとポーズを取った。客はさらに惜しみない拍手を店内に反響させ、なかにはかつて自ら挑戦し果たせなかった偉業を目の当たりにした客が涙している。

 ミーロとチェロニーがミグの両脇に張り付き、フラッシュが炊かれると、店長はにこやかに「記念に」といってフォトを三枚くれ、もう一枚を殿堂入りのボードに誇らしげに貼り付けた。殿堂入りの壁には、口もとをクリームまみれにした数多の勇士たちが達成日と共に飾られ、そのどの顔も、新たな勇者の誕生を心から喜んでいるように笑っていた。

--

 俺は、気がついた。

 そうとしか表現のしようがない。コンソールパネルを見た瞬間から、俺の網膜から流れ込む無数の知識がダンスを踊り始めた。地球の歴史や人類の進化といった、いまの時代で新しく常識となった俺の脳の中で”更新”されていく。それが良かったのかどうかは知らないが、千年という年月は、必ずしも人間や地球にとって必ずしも幸せなものではなかったということだけは良く分かった。

 技術の飛躍的な進歩、宇宙時代の幕開け、核戦争、地球の環境回復計画、疫病、新しい塩基、それを利用したことによる人類の進化、そして繰り返される戦争。人間がやることだから、当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが、どんなに進化しても人間である以上同じような歴史の繰り返しではないのか。

 コンピュータによって管理された社会、すなわちサイバネティックというものも、要は人間が人間であるが故に決められないことをコンピュータに押し付けているだけのようにも感じる。しかし、人間が小難しいことをコンピュータに頼り便利になった結果、生物学的に進化したのだといくら強弁しても、それが果たして進化なのかどうか疑問が残る。

 千年も経過した、というよりたかだか千年ほど経っただけ、という気がしてきた。俺が生きた二十一世紀の千年前、十一世紀だって、普通に狭い国土をえっちらおっちら開発し、戦争してたことには変わりがない。それが俺のじいさんの世代には飛行機というテクノロジーによって戦争は地球規模になり、いまでは恒星間航行というテクノロジーを使って銀河系規模になったというだけではないか。

 そう思うと、何だか自分がえらく小さい存在であるような気がして愕然とした。当たり前だ。”授業”の一番最初に出てきた太陽の、強烈な映像が俺の目に特に焼きついた。百何十億年という宇宙の中の、ほんの一瞬俺という存在がまばたきしているに過ぎない。

 逆に言えば、千年経過した後も、人間が技術以外たいした進歩をしていないのも、ある意味で当たり前なのかも知れなかった。欲丸出しで精一杯生きている人間の有り体な姿が織り成す社会の、ほんのわずかななれの果てが俺でしかないのだ。

 深い思索の淵に沈んでいた俺を引き戻したのは小宮山だった。

「初陣は楽しかったかね」
「や、意外なことだらけで新鮮だったな」

 もっともらしい感想を述べたが、小宮山はその端整な顔を少し歪めただけだった。

「そんな呆けた顔で黙っているから、こっちが心配になったよ」
「ご配慮ありがとうよ」俺としては考えごとをしているのだから、そういう言い草は実に不満だった。
「これから毎日、図書館で何百冊も本を読むような情報を突っ込まれるんだから、いちいち考えていちゃ身が持たんぞ」小宮山は笑いながら言った。

 ふとコントロールパネルにある時計を見ると、なんともう1900になっている。あっという間に七時間が過ぎた計算だ。これには驚いた。

「ああ、神経を集中させるので時間が飛んだようになるんだ。あくまで感覚としてね」
「そういうもんなのか」
「各人の知識定着の速度に応じて、カリキュラムが組まれる。だいたい平均で八時間で終わるようになっているから、お前は優秀な方だ」
「褒められているのかどうか分からんが」
「だから、あいつらを見てみろ。まだ半分も終わっていない」

 小宮山の親指が指した先を見ると、堀、初芝と園川の三人は『習熟度50%』と光る研修メーターの前で悪戦苦闘しているのが見える。

「なるほど」
「とはいえ、宮本はまだ概論のところだからな。これから適性が分かってくると、苦手な科目はつらくなってくるぞ」
「そういうもんか」
「いったん落ちこぼれると、いつまで経っても学生の身分から出られない。俺たちの復活した理由は、未開発星系の開発だからな」小宮山はあごをしゃくった。
「だが、小宮山、お前はどうなんだ」俺は不思議に思った。「八時間のカリキュラムを、七時間足らずで終えているんだろう。お前だったらさっさと宇宙に出られるんじゃないのか」
「そう思うか?」
「ああ。俺だったら座学なんかちゃっちゃと済ませて、俺の星に行きたくてわくわくするけどな」
「そうだな。そういう考え方もあるだろうな」小宮山はまだ授業に集中した多くの生徒たちを眺めるような目をした。「俺は、まだここにいたい」
「何故だ」
「概論を知ったから、分かるだろう。俺たちは、未開発星系にこれから『行かされる』。いわば捨て駒だ」
「まあな」
「ここを出たところで、巧い具合に人が住める惑星があるとは限らない。一番最初に未開発星系の開拓団がたどり着いた先は、白色矮星を回る灼熱の金属惑星だったという」
「スティーブン・ハイアットとやらが行った星か」
「そうだな。大科学者だったそうだ。たどり着いたはいいが、地球に帰るエネルギーもない。それで、その星を凄まじい苦労の末に開発したそうだ」
「つまり、俺たちがまともに未開発星系で生きながらえる保証はないというわけだな」
「というより、ほとんど確率的にないといっていい。いままで二万七千組の開拓団が太陽系を出て、開発に成功し移民が定着できた例は八十三」
「本当か」
「残念ながらな」
「そうか」
「だから、俺はここを出たくない。死にに行くようなものだ。それに、このクラス、よく見てみろ」
「あ?」
「男しかいない。俺たちはオールドタイプだ。塩基Sとやらを持ったいまの人間との間に子供を宿すこともできん。しょせんは一代限りの、使い捨てなんだよ、俺たちは」
「ふむ」
「だから、俺はほんのわずかな時間でもこの場を離れたくない。日本政府の連中がどんな考えを持っているのか知らないが、理解が進めば進むほど協力する気もなくなろうってもんだ」
「己の優秀さを呪いたくなるだろうな」
「そうだな。だが、せめてもの抵抗をしようと思ってるよ」小宮山は俺を見た。曇りのない、さっぱりとした顔だ。「少しは実情が分かってきたか?」
「何故、そんな話を俺に?」
「何故だろうな」小宮山は笑った。「もともとは、過労で死んだ俺自身の不始末だが、いまここに座ってお前と話していること自体がおかしいんだろうな」
「何となく、気持ちは分かるぜ」
「だから、こうしてクラスの落ちこぼれと楽しく俺はやってるんだ。お前も頑張ってどうにかする必要なんかないと思うだろ」
「俺はそうは思わない」

 小宮山は怪訝な表情に変わった。正気か? という顔だ。

「俺が死んだのは自業自得だ。仕方がない。だが、どんな間抜けな子孫が地球を滅茶苦茶にしちまったとしても、日本政府とやらがどんな企みを持っていたとしても、いまの地球が抱えている問題は問題だ」
「・・・」
「どの道、俺もお前もまた死ぬ。どんな死にざまであっても、死ぬことには変わらん。であれば、何かの役に立って死にたい。たとえ確率が低かろうと、それがゼロでない限りは、俺は俺の前に道があると信じる」

 クラスはまだ静かだ。俺たちの話し声が研修室全体に染みわたっていく。

「小宮山。太平洋戦争を知っているか」
「もちろん」
「俺の爺は、特攻隊で死んでな」
「・・・」
「骨も帰ってこなかった」
「そうか」
「婆は、遊びに行くたびに、その話をしてくれたよ」
「バンザイ突撃の血は争えないということか」
「いや。正直後悔してる」
「ほう?」
「俺の爺が、命を散らした相手はアメリカ人だ。敗戦を迎えて、その後の世代の俺は、ハリウッドのアメリカ映画を見て、ハンバーガー喰って、洋楽聴いて、アメリカ製の靴を履いて育った」

 小宮山は俺の目をまっすぐに見ている。やけに涼しげな眼だ。

「爺は、国のために立派に戦ったが、力が及ばなかった。だが『相手は人だ。勝っても負けてもどこかに悔いは残る。倅や孫は人様の役に立つように育ててくれ』と、爺がそういいながら兵隊に取られていったと、婆は泣いていたよ」

 研修室の正面にある大パネルに『緊急連絡: 研修終了後も室内で待つように』と映し出された。それを潮に、俺は話を打ち切ろうとした。

「ま、そういう話だ。幸い、俺は軍隊に入るわけじゃあない。大宇宙様が相手のようだしな。これは楽しみだぜ」
「変わった奴だな、お前は」
「進化したと思い込んでるいまのニュータイプがどんなにバカな連中だったとしても、人は人だ。俺たちのはるかな子孫だ。そいつらのためなら、俺は喜んで死ねる」

 小宮山はうつむいた。だが、その横顔は快い笑みに満ちていた。

--
 夕方を意味する空の赤みが、建物のガラスで反射して店内の空気まで赤くなっているように見える。

 店長が「苦い薬の口直しに」といって、ポットに入ったアールグレイを持ってきてくれて、ようやくミグは口を開く気になった。もちろん、紅茶に砂糖を投じる気は毛頭ない。ミグがあごに湯気をあてている横で、チェロニーはまだ感動して泣いている。

「ミグ、すごいよ。すごいよ」
「いや〜、喰った喰った。余は満足じゃ」

 戦いを終えたミグは、ほんのり苦いアールグレイを口にして、その余韻に浸っていた。”アストロ・カフェ”開店以来三十余年、いまだ連覇を達成した者はいない。ミグは次なる挑戦を自らに課し、わずかに身震いした。

「ミグ、またやるんじゃないでしょうね」口の回りを入念に拭きながら、ミーロはミグの心を読んだように目を細める。
「大丈夫。今度は三人同時達成の金字塔を打ち立てよう!」
「付き合いきれないよ」ミーロは胃の辺りを押さえてぼやいた。
「あれっ、ねえ」

 チェロニーは、両手でティーカップを持ちながら店の一角にその大きい瞳をやる。その声でチェロニーの視線を追ったミグは、吹き抜けの二階の奥テーブルにシンシアが座っているのに気がついた。

「あれ、ミグのお母さまだよね」

 ミグの顔がかあっと赤くなった。ひょっとして、見られたのだろうか。シンシアは、聖ライコス女学院の卒業生でもあり、かつて”アストロ・カフェ”の常連だったことをよくミグに話していた。もちろん、この店伝統の食試しも知っている。もっとも、彼女は自分が挑んだかどうかは教えてくれなかったが。

 シンシアは席を立つと、同席していた二人連れの男性と一緒に吹き抜けから一階へ降りる階段へを歩を進めた。さすがに知らないふりをしているわけにもいかず、ミグは立ち上がり声をかけた。

「お母さま」

 自分のことを見ていただろうか。何ていうだろう。少し期待に胸を膨らませて、ミグはシンシアに歩み寄った・・・が、シンシアはミグと一瞬視線を合わせたものの、まるで赤の他人であるかのように目をそらし、連れの男性を伴って店を出て行った。
「お母さま?」

「・・・」
「どったの? ミグ」何事につけても鋭いミーロは、ただならぬ雰囲気を感じたのか、カップを持ったままミグに近寄り声をかけた。
「なぁんかさあ、心ここにあらずって感じだったよね」チェロニーも気づいたらしい。

 ミグは黙って店から遠ざかる母親の背中を見ている。連れの一人が、店の方向を振り返ると、ミグは慌てて目を離した。

「ね、ね、腹ごなしにさ、探偵ごっこしてみない?」ミーロはいたずらっぽい目で提案する。チェロニーも異存はなかったが、ミグは気乗りがしなかった。
「うーん」
「ミグ、どうしたの。早くしないと見失っちゃうよ?」
「よし、走ろう」気の早いミーロがもう店の扉に手をかけている。

 半ば、ミーロとチェロニーに引っ張られるように、ミグはシンシアの後を追った。もうかなり先を歩いているようで探すのに一苦労しそうだ。そう思うと、ミグは意を決して走り始めた。

 それから遅れて三十秒あまり、店頭で店長の大きな声がした。

「お客さ〜ん! お勘定ぅぅぅぅ!」

--

「馬鹿な」小宮山のつぶやきが聞こえてくる。

 授業は2000を前にして打ち切られ、初芝が”ほっとした”という意味の「あー」という大声を上げたあと、衝撃の”指令”が研修室全体を覆った。

『本日をもって、日本政府プロジェクトの研修はすべて終了となります』

 研修室内では、どういうことだという声にならない声が充満する。

『なお、研修途中の全候補者は、明日以降順次発進する探査船に搭乗してください。今日中に、各自九名からなる探査要員を選抜して頂きます。また、惑星探査を補助するアシスタントとの面会日時をお知らせ致しますので、その指定日時までに第一宇宙港多目的ホールへ集合してください』

「戦争か・・・」俺はつぶやいた。とりあえず、予感的中といったところか。これから人口を減らそうという地球連邦が、こんな贅沢な日本政府プロジェクトを容認するはずもない。わずか七時間ほどの研修しか受けていないこの俺にも明日早朝0500に第一宇宙港への集合がかかり、とにかく厄介なものは全て送り出したいという意図が見え見えで、何だか笑ってしまった。

 ちらりと横を見ると、園川が顔をひくつかせて座っている。心の準備もできていないのに、いきなり死ねと言っているに等しいのだから、きっと驚いているのだろう。

「どう思う、園川」
「うーむ」
「これじゃあほぼ確実に死ぬぜ、俺たち」
「0515に集合なんて。朝早すぎるぞ」園川は呑気に言った。がっくり来たのは言うまでもない。
「そういう問題か」
「食堂が開いていない。朝飯喰えないぞ、これでは」どうやら、園川にとっての大問題は別のことであるらしかった。
「夕食を多めに取って、その一部を朝用に取っておいたらどうかね」
「その手があったか。さすがだ宮本」園川はまさに我が意を得たりという表情で、指をパチンと鳴らした。
「何のんびり話してんだお前ら」小宮山は明らかに苛々した口調でたしなめた。「開拓団候補、見てみろ」
「な、何だこれは」俺は、自分と命運を共にする開拓団員の候補者リストを見て慄然とした。

 無職。コンビニ店員。アパレル販売員。サーバー管理者。トラック運転手。塗装工。家事手伝い。とび職。土木作業員。清掃業。植木職人。配管工。ウェイター。ビル警備員。デザイナー見習い。テレビ局AD。司法浪人。劇場受付。ゲーセン店員などなど。

 五人は、パネルに視線が釘付けとなった。

「・・・」
「・・・なあ」
「なんだ」
「こいつら、開拓団員候補なのか」
「どうやらそうらしいぞ」
「なんかこう・・・」
「ああ。まるでDQN職業見本市みたいだ」
「もう少し、・・・マシな奴はいないのか」
「いま探す努力を払ってるところだ」
「いや。見渡す限り無限の荒野だ」
「それは荒野に失礼だろう」
「俺もそう思う」
「せめて家庭教師とかおらんのか」
「出張ホストはいるがな」
「せいぜい出前持ちがいいところだ」
「それはいったいどういう役に立つんだ?」
「俺に聞かないでくれ」
「こいつらと俺たちは宇宙に旅立つのか?」
「選択の余地はないらしいな」

 五人は口々に恨めしい会話を進めた。室内も、あまりの事態にざわざわしている。

「男初芝、この俺だってもっとまともな職業についてたぞ」
「いや、決して彼らが役立たずとハナから決め付けるわけではないが、せめて医学知識のある看護婦や弁護士なんてのはいないのか」小宮山は深く椅子に座って腕組みをした。
「俺には何となく想像がつく」

 人間社会は便利になりすぎたのだ。また、必要とされる知識が多すぎるのだ。俺の時代だって、法曹界や財界、政界では複雑なシステムを運用するのに長い年月に培われた経験が必要で、人脈と知識とを駆使できる老人たちがパワーを持っていた。若い人間からすれば、いい加減引退してくれと思うような人物でも、そういう微妙な駆け引きや按配といったものには老人の知恵が必要であり、かつ、替え難いものであった。

 さらに複雑になった知識−−法律や経済といったものを司るために、人類はコンピューターに頼った。便利だからだ。人間の機微はともかく、画一的に、かつ統一的に高度な何かを為すには、正確無比なコンピューターを使うほかない。

 勢い、人間が社会を構成するための知識は、コンピューターに移っていった。弁護士はコンピューターを使ってより高度な法体制の運用を行い、会計士もまた、膨張する世界経済がさらに宇宙へと広がっていくのにこれらを使いこなさなければ仕事ができなくなっていた。

 企業活動も政治も、コンピューターの無限の能力なしではありえなかった。

 もっとも、コンピューターが高度な知識を運用するのに、人間が指示するものをこなす、という次元で留まっているうちはまだ良かった。しかし、これらが意志を持って人間に奉仕する立場へと進化したら、どうだろう。

 人間の大多数は、知識を持って社会に関係するという、苦痛に満ちた生活を自ら放棄していた。法律など知らなくても、法律を破らない限りは弁護士の世話になる必要などない。合理的なコンピューターに人間は適当な頃合で動機付けられ、仕事をこなしていけば面白おかしく生きてゆけるのであれば、それはそれで構わないではないか。

 ビッグマザーがサイバネティック社会を完成して五百年余り。そんな社会で何十世代も経た人間が、知識的に骨抜きになっていても全く不思議ではない。

「なるほど、オールドタイプが必要、というわけか」

 暗澹たる気分になった俺のわずかなつぶやきに、小宮山は同意した。

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「あっさり見失っちゃった」
「そんなはずない。今日はこの道路はエアモービル禁止だし、絶対近くにいるはず」

 三人は、アルバート通りを出て、クイーンズ大通りへ入ると、往来は夜への支度を急ぐ雑踏となっていた。戦争が近いとはいえ、日々の生活は生活なのだ。ニューメンフィスは参戦しない。それもあって、普段と変わらぬ日常が、そこにはあった。

「手分けしよう! ミグは市庁舎のほうへ!」
「うん。ひょっとしたら仕事場に帰るところかも知れない」

 ミグは何故だか焦燥感に襲われていた。とにかく、走った。首にかけた猫のペンダントと一緒に胃袋が上下に揺れるがそれほど苦しく感じない。胃薬のおかげだろうか。クイーンズ・スクウェアに出ると、市庁舎まではもうすぐだ。そのまま市庁舎へ向かおうとして・・・見覚えのある長身の男が”アノニマス・フィールド”横の路地を入っていくのを見つけた。ただ、長身といっても背はミグよりも全然低いが。

「うげっ」

 あのあたりは、どちらかというと治安の良くないニューメンフィスのなかでももっとも猥雑な地域へ向かう道でもある。「どうしようかなあ」という表情がミグのなかに一瞬浮かんだが、思い切って一人でついていくことにした。変にテレコミュニケーターで連絡をして、ミーロやチェロニーを待つ間にまた見失ってしまうかも知れないし、何よりも彼女たちを変なことに巻き込みたくなかったのである。お母さまに連絡しようかしら、とも思ったが、何かあったらすぐに戻れば大丈夫だろうと思った。

 クイーンズ大通りの大混雑が嘘のように、路地は人気がなかった。

 ミグはこの街で生まれ育ったがこのあたりには土地勘がない。貨物専用の第三宇宙港へ向かうこのエリアは、ニューメンフィスの中でももっとも薄汚いところだ。安宿、安酒場、売春宿に阿片窟、暴力団事務所にマックまである。眠れない底辺の人々が一夜の慰みを得るために訪れる地区、それがイーストドックだった。

 男の影を追って、ミグは足早に路地を歩く。こんな時に限って、やけに目立つ赤い服を着てしまっている。赤い髪に赤い服では見つけてくださいと言わんばかりだ。それでも、なるだけ足音を立てないように、それでいて男に離されないように歩いていく。

 複雑に入り組んだ路地のところどころにある鉄箱やゴミ缶が視線を遮る。いったいどこまで奥にいくつもりなの。ミグはどんどん心細くなっていった。肥え太ったネズミが足元を通り声を上げそうになる。いつしか、ニューメンフィスは夜の時刻へと構内の照明を変えていた。男はどんどん暗黒街の深みへと入っていく。

「あちゃ」ミグは髪をかきあげた。「見失った・・・?」

 前にも後ろにも人影はない。ただひっそりと、自分の小さな足音だけが付近に響く。

「きっと・・・どこかの入り口に入ってしまったんだ」

 立ち止まった足が、かすかに震えている。お母さま、どこにいるの。声にならない叫びを心の中で上げながら、後ずさる。来た道を辿れば、帰れるはずだ、そう思ったミグは甘かった。まだ夕日の照明のある時間とは路地は完全に装いを変え、むしろ鬱蒼としたジャングルのような世界だ。

 ミグは泣きそうになりながら路地を歩いた。どこを歩いても、どこを曲がっても似たような風景。いっそ警察でも呼ぼうかしら。そう思って、ミグは首を振った。そんなことをしたら、お父さまやお母さまが驚き嘆くに決まっている。なぜそんなところに足を踏み入れたのとあらぬ心配もかけてしまうだろう。

「おぬし」
「きゃっ」

 声の主は、鉄の箱の上にちょこんとあぐらをかいた老婆だった。しわがれた顔の隙間から、かろうじて瞳のようなものが覗いている。

「あの、おばあさま」それでもミグはほっとした。「ここからどうやったら帰れるの」
「後戻りしてはならぬ」
「えっ」
「前に、進むのだ。もはや、おぬしに帰るべき安息の地は、ない」
「・・・どういうこと? どういうことなの」搾り出すようにミグは声を出した。老婆は、首を振る。
「ミグよ。荘厳なる木星の宿した凶運の子よ。そのはるかなる空の向こうを越え、うぬが理想を見定むるべし。たとえいかな艱難がおぬしを襲おうとも、たれもおぬしを助けえぬ。ただ、おぬしは前を見て、おぬしの道のみを歩め」
「何? 何を言っているの? あたしが何だというの?」

 老婆の声が、ミグの脳に入り込む。侵し難い何かが言葉の一つひとつをくるみ、見えない格子となって感情を閉じ込める。

「うぬが宿命は変えられぬ。しかしてその運命は必ずや拓けるであろう。たとえそれが耐えがたき悲劇であったとしても、決して希望だけは棄ててはならぬ」
「宿命?」
「人は必ず死ぬる。形あるものは必ず滅びる。星もまた、悠久のときを経てその輝きを失う。うぬが悲運もまた、避けがたき宿命とある」
「悲運・・・」視線が老婆の瞳に釘付けとなる。と同時に、さっきまでの震えとは違う、より大きなものがミグの足元から湧き上がってきた。

 この老婆・・・語りかけているその言葉は、耳から入ってくる音ではない。それが思念そのものであることをようやく気づいたミグは、パニックに陥りかけていた。

「あたしは、あたしはどうすればいいの!」思わず両手で頭を抱えて、ミグは叫んだ。

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