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Chapter 1-17

『我々人間の脳は、シンプルな構造が何百億と積み重なっただけの構成物だ。それが意志を持ち、そうであるからこそ、我々は様々な感情、理性を備えている。たかが人間がそうであるということは、ほかの構成物が意志を持たないというのは不可思議な推論だ』


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関連スレ

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 かがんだミグが男を見上げた瞬間、ミグのその綺麗な頬に、青く光る拳が叩き込まれた。

 どうすることもできない。ドシャッという音を立てて、そのまま仰向けに倒れた。埃だらけの地面に後頭部を強く打ちつけたが、ショックと興奮で痛みを感じない。

「あっ」手で押さえた顔をミグは上げた。
「上玉だが、残念ながらでかすぎるな」

 殴った男は、眼に憎しみを映している。もう一人が、後ろで壁にもたれかかって”戦況”を眺めていた。半身を何とか起こしたミグは、恐怖で後ずさる。

「遊んでる場合か。さっさと殺れ」

 殺される。叫びをあげようとするが、口が開いただけだ。声が出ない。殴った男は気づいた。

「こいつ、カフェで”協力者”をお母さんと呼び止めた女だ」
「何だと?」観戦していた男は歩み寄ってきた。「それじゃ、お礼をしておかなくちゃな」

 何なの。あたしが何をしたというの。協力者? ミグは混乱した。男はau端末を踏みつける。グキッという音がして、それは完全に破壊された。

 四つの瞳孔が、冷たい視線を突き刺す。逃れるようにミグは下がる。しかし、その背にあるのは袋小路の壁だった。

 壁に手をつき、何とか立ち上がったミグは目を見開いた。小柄な男たちは、何とも悲しい青いオーラに身を包み始めていた。

「・・・サイキッカー」声にならない呟きを発した。無抵抗のミグに、男は近づく。凄いスピードだ。恐怖で歪むミグの顔に、見えない強烈な一撃が打ち込まれた。顔の右半分が一瞬ひしゃげたように見え、ボキャッという鈍い音がする。「あうっ」なす術もなく、ミグは吹っ飛ばされた。

 そのまま鉄の壁に顔の反対側をうちつけた。ガツッという音と同時に、無機質な壁を、赤いものが彩る。壁づたいに、ミグは崩れ落ちた。その可憐な唇から滴る血が、薄汚れた地面に模様を作った。

「くっ、ううっ・・・うっ」まだ意識があるのが不運だったかも知れない。男は無表情でその赤い髪をわしづかみにした。凄まじい力でミグを引きずり起こす。「あーっ」切ないうめき声が漏れる。もう一人の男が、指先から出た白い光をミグに振り下ろした。

 しなやかな光が、ミグの右肩から腹を切り裂いた。「くああああっ」ミグの口から漏れる悲鳴が、ビシィッという音と共鳴する。破かれた服の間から溢れ出る返り血を浴びて、男は顔をしかめた。砕けた鎖骨が肺に突き刺さり、激痛がミグを襲う。思わず胸に腕を当て、身をすくめた。服が裂けて上半身が露わになった恥ずかしさからではない。切断された胸筋が収縮したからである。その腕に、鮮血が降りかかり、その手先を赤く染めた。

 間髪を入れず、男の膝が下腹部に深くめり込んだ。ドフッ。まるでサンドバッグのように、三発、脇腹を殴りつける。「ぐはあ」強い衝撃に耐え切れず、口から胃の内容物が唾液と血液とを伴って噴き出し、股間から漏れ出た尿が生暖かい流れとなって内股をつたった。

 つかまれた髪がブチブチッと根元から引きちぎれた。男はミグの背中を蹴りつけると、ミグは地面に広がった自分の血と嘔吐物の上に倒れた。全身がびくびくっと痙攣し、激しい嗚咽が腹の底から湧きあがる。

 いも虫さながらに、何度か腰を上げ下げすると、ミグは吐いた。さっきまで、勝利の勲章だった何かが、黄色と赤の液体となってとめどなく流れ出る。つん、とした匂いがあたりに立ち込めた。

 男たちは黙ってそれを見ていた。「うっ・・・は・・・」無様に地面を転がっているミグがなお気を失っていないのを知ると、つま先で左肩を蹴り上げ仰向けにひっくり返した。

 朦朧とした表情で小さく息を吸っている。その血みどろの顔が気に入らない。男は強くぐりぐりと踏みつけた。その力が顔をこするたび、ミグの長い脚が左右に揺れる。

「ケーキ早食いだ? ふざけやがって」男は低い声で言った。「こいつの吐いたゲロでいいから、餓死寸前のうちのガキどもに喰わしてやりてえぜ」
「母娘ともども人間のクズだな。最低だ」

 そばで見下ろしているはずの男たちの声が遠くに聴こえる。その成分は恨みと憎しみで満たされていた。

 お母さまが、何をしたというの。薄れゆく意識の中で、ミグは叫んだ。
 お父さま、助けて・・・。

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 路地の向こうから、今度は三人組が歩いてくる。やくざ者か何かだろうか、禍々しい、それでいてどことなく哀れな雰囲気を醸し出していた。

 それでも真ん中の若い男は目を惹いた。暗がりの中で輝くような、透き通る肌と濃いブルーの髪、美しい少年という言葉がぴったりの容姿だったが、残念ながら目つきが悲しすぎた。

 声をかけるかどうか、迷った。変にトラブルになってはかなわない。一方で、一刻も早くクリークを探し出さなければならない。と思っていたら、男と目が合った。何かを語りかけたいという眼差しだ。

 狭い路地を、すれ違うぎりぎりのところで、少年は口を開いた。

「君」

 俺は立ち止まった。男たちも、直前で歩みを止める。

「訊きたいことがあるんだ」少年は、その艶やかに紅い口元から、その姿に相応しい歌うような声色を投げかけてきた。
「俺か?」俺は首を傾けた。
「このあたりに・・・豪奢なバーはなかったかい」

 それはまさに、俺が探しているものだった。こいつらは、いったい。

「・・・知らないな」
「そうかい」
「このあたりにあるのか?」
「そう願っていたところなんだ」穏やかに言う。じっと、俺を見ている。何だろう。不思議な感覚だ。「先を急ぐので。それじゃあ」

 少年は歩き始めた。連れも遅れてついていく。俺たちはすれ違った。俺も前に進もうとして・・・俺の行く手から来た彼らは、俺と同じ建物を探していると言っていた。ということは、この先にはその物件がないということだ。
 と同時に、連れの男の顔に、赤いものがついていた。血のようだった。

 その事実に気づいた俺は、振り返った。

 そこには、誰もいなかった。

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「何をしている?」少年は、部下が誰かを嬲っているのを見咎めた。
「松坂隊長」竹下は振り返った。「この女に、後をつけられました」
「何?」
「どうやら、シンシアの娘のようです」犬伏は女の顔から足を離した。「いま始末するところで」
「放っておけ」
「は?」
「遅かれ早かれ死ぬ。じきに」
「了解」犬伏は不承不承と言った感じだ。竹下は、完全に気を失ったミグの身体に唾を吐きかけた。
「それより、和田隊が救援に来る」
「本当ですか、松坂隊長」竹下は表情を変えずに確認した。
「0300。木星の重力圏内に入る」
「見捨てられたかと思いましたよ」犬伏は、スラム街の低い天井を見上げながら溜息をついた。
「いや、当たらずと言えど遠からずだ」
「何故です」
「和田隊の主たる任務は我々の救助ではない」
「ほう」
「どうやら、ビッグマザーの切り札の全容が、おぼろげながら分かったようだ」
「それの強奪を?」
「いや、破壊だ」
「なるほど」竹下はあごをしゃくった。「それでも、和田隊が派遣される以上、重力圏に入れば和田隊の艦船にテレポートできるな」
「それまでに、何とかあの化け物(クリーク)を見つけ出さねば」松坂は、闇の路地の向こうを見晴るかす。「地球連邦の連中も、ビッグマザーの切り札を血眼になって探しているだろう」
「にしても、あの協力者。食わせ物でしたな」
「いや、全くのダミーとも言い切れまい」松坂は行動を促した。「行こう」

 犬伏は名残惜しそうにミグを振り返った。

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 幻覚か。俺は立ち止まった。あの巨大な建物と、動物のような客、そして俺が胸倉をつかみ上げたクリークまでもが消え去った感覚と、たったいま彼らが姿を消したそれは、現象としては全く同じだった。

 言われてみれば、列車の中で俺に金色のカードを託したシェルミーも突然現れ、用事が済むと姿を消した。どこからどこまでが実体で、何が虚構なのかが分からない。茫洋とした事実と事実の交錯は、少しずつ俺の中で何かを形作っている。

『でも、さすがはオールドタイプだね。洗脳自白にも強制忘却にも引っかからないなんて』

 シェルミーはそう言った。少なくとも、警官の作り出す虚構は、俺を操作することができない、ということだ。

『記憶にまで作用するようだと、完全に人間は操作された人格でしか生きていかれなくなると言うことを意味するな』

 小宮山の言ったことを合わせると、塩基Sが関連する遺伝子が作る蛋白が、脳、特に情報の送受信に作用することになる。人間の記憶とは、受信の総体だ。ということは、現代人が知りえない真実を、オールドタイプは掌握できる可能性がある。

 そしてそれは、いまの統治機構が認識して欲しくないことのはずだ。彼らは確実に、現代人の認識をコントロールすることができる。地球で見た、ホログラム。俺は洗髪し、髭を剃ったはずなのに、ホログラムがサービスされないニューメンフィスでは髪は乱れ、無精ひげをたくわえていた。オールドタイプも騙される現実があるということだろうか。

 いや、それとは性質が違う。クリークを掴んだ感覚、手に残ったほのかなぬくもり。クリークが落としたグラスが割れた破片。明らかに現実である。俺のポケットに入っているこのカード。消えたシェルミーがくれた実体だ。右手で肩にかけた学ランをつかみ、左手ではしっかりとカードを握り締めていた。

 見極めるほか、あるまい。仮に、いますれ違った、消えることの出来る三人が、塩基Sを持っている現代人だったとしたら。

 この道は、たぶん正しい。そう思った。俺はさらに路地を入っていった。

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 果たして、あの動物園が見えてきた。暗い路地が開けた先に、豪華で巨大な建物が向こうにあるのを遠目に確認すると、俺は歩みを速めた。もっとも、そこにクリークがいる保証はない。今日、ニューメンフィスを発つという。だがそこに誰かいるかも知れないし、そうでなくても何か手がかりがあるかも知れなかった。

 俺は何かに足を取られ、つんのめった。

 見下ろして、ぎょっとした。上半身の服を切り裂かれた血まみれの少女が、路地のど真ん中で血だまりを作って倒れている。その少女の身体に足をひっかけたのだ。売春婦だろうか。

 眉をひそめた。悲惨だ。殴られ、切り刻まれた彼女は、一刻も早くどこかに担ぎこんでやらないと間違いなく死ぬだろう。半開きになったうつろな眼が、虚空を見つめている。鼻から口から、そして胸から血が溢れ出ていた。

 厄介なことに巻き込まれたものだ、と思った。俺には関係のないことだ。クリークの手がかりを探し出さねば、という思いがよぎったが、数瞬、逡巡したあと、この不幸な少女の頭のそばにかがみ込んだ。

 まだ息はある。

 つーんという匂いが鼻を刺激する。胃液か何かか。俺も酒を飲み始めたころはよくかいだ匂いだ。俺は肩にかけていた学ランを少女の身体に被せると、両手で抱え上げた。せめて大通りまで連れて行けばきっと誰か歩いているはずだ。問題があるとすると、この大柄なこの少女が激烈に重いことだった。

 早足で運べばものの五分足らずで大通りに着くだろう。そこで助けを呼ぼう。俺の左手を、彼女の流した暖かい血がつたうのを感じる。急ぐことだ。

「はぅ・・・あ・・・」

 うなされている。揺れて、痛いのだろう。首筋に、可愛い猫のペンダントが揺れている。

「おと、・・・・・・さ・・・ま・・・」

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