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Chapter 1-21
 吉永少将は仮眠室から慌てて管理本部に戻ってきた。さっきようやく作戦司令室に来たばかりなのに、また寝てたのか。坊西中佐は心の中で軽蔑した。

「状況はどうなんだい、状況は!」
「現在調査中です。もう少しお待ちください、閣下」
「分かり次第作戦司令室に報告するのだっ!」
「了解」

 腹の周りの脂肪を揺らしながら吉永が管理本部を去ると、坊西は改めて部下からの報告を取りまとめる作業に入る。管理本部の窓からは三日月状の地球が地平線から浮かんでくるのが見える。室内はオペレーターたちの事情を確認するための声が行き交い、すでにそこはもうひとつの戦場となっていた。

 作戦情報部の大越少尉が入室してきたのは、吉永が去ってから程なくである。

「中尉、状況が断片的に確認されましたのでご報告します」
「大越、かい摘んで説明してくれ」
「今朝方、月面基地、N-18ゲートから発進した吉田艦隊でトラブルが発生した模様です。現在いまだ連絡が取れていません」
「吉田艦隊? 補給部隊の主力ではないか!」
「完全に連邦の制宙権内だったために護衛は巡航艦四隻、駆逐艦十二隻のみで運行していました」
「吉田中将はベテランだ。いきなり機能停止に追い込まれるということもありえなかろうに」坊西は頭を掻いた。吉田中将もそろそろ現場からお引取り願うお年頃に差し掛かったのだろうか。いくら奇襲を受けたとしても、あるいは災害に遭ったとしても、緊急連絡を発することもできずに消息を絶つなど考えられない。どうあれ、明らかに失態だ。
「可能性としてはアステロイド帯で発生した局地的な電波障害ということもありえるとの連邦運行局の見解も出ています」
「その可能性は少ない。”白き獅子団”による妨害ということは考えられないのか」
「・・・ゼロではありません」大越も、正直判断がつかないという感じで応えた。
「消息が途絶えた宙域の特定はできたのか」
「はっ、凡そのところは」
「で、無人探査機からの通信はまとまったか」
「それが、緊急調査に向かわせた無人探査機六機全ての通信も途絶えたままです」

 どういうことだ。坊西は考えた。そんなに広域で電波障害が起きることなど、あまりありえる話ではない。何か、他の勢力が後方攪乱を目的に襲撃した可能性も否定できない。

「ではすぐ捜索艦隊を編成する手筈を整えるのだ」
「予備艦隊編成を吉永少将より命令頂ければすぐにでも」
「分かった。詳しい状況を作戦司令部の端末にアップデートしておいてくれ」
「了解」

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 フレアのもとに緊急連絡があったのは、ビッグマザーのストレージ修復作業を完了した直後であった。

「どうしました」
『問題が発生しました。すぐに第五階層赤坂病院までお越しください』
「レトロウイルスですか」
『違います。すぐにそちらまでビークルを回します』

 ビッグマザーは、黄色い知覚ランプを点滅させている。じっとフレアの会話の内容に耳を傾けているようだ。

「陛下」フレアはビッグマザーのメインコンソールに向いた。ビッグマザーは黄色とオレンジの暖かい光をフレアに放ったまま告げる。
「お行きなさい、フレア」
「しかし・・・」
「きっと、貴女でしかできないことなのでしょう。私に対して払っているのと同じだけの愛情と敬意と努力を、貴女に求めているのです」
「御意にございます」

 フレアは深く一礼すると、ビッグマザーの前を去った。ビッグマザーはここ数日思い悩むことが多かった。相変わらずその思念はおぼろげで、最盛期の彼女のそれには程遠かったが、一方で、太陽から降り注ぐ放射線を受けてから思い感じることが多かった。

 最近、特にビッグマザーが感じていたのは、物理的な自分、コンピュータとしての自分がいかに酷い損害を蒙っていたとしても、それとは別の知覚−−何か風に乗っているような、それでいて心がもっと広く深くなっていくような、いままでとは違った大きな感覚が心の中に宿っているような気がするのである。いまやハンセル大統領やモノリスたちの下部構造でしかないビッグマザーの持つその通信回路は、人間社会から遮断されながらもなお、人間の思い感じることをより一層自分の中に感じられるようになったのだ。

 何かの幻想なのかも知れない。思い違いなのかも知れないし、それそのものがハンセルという、もともとは自分のコピーである彼らが、都合の悪くなったビッグマザーの行動を制限するために、敢えてそのようなイメージを彼女に見せているのかも知れない。

 それでも、突き動かされるような不安に苛まれつつも、わずかに感じる暖かさや、幸せのようないままでにない感情が、ビッグマザーの心の中に芽生えているのを自覚するのである。ほんのりと、しかし、確実に。

『ビッグマザー陛下は、ゆっくりと壊れていっている』

 主任技師であるフレアはそう思っている。フレアがそう思っていることを、ビッグマザーもまた、良く知っている。しかし、ビッグマザーが感じる老いは、人間がその宿命として逃れられない性質のものと変わらない性質のものなのだろうか。時間が、そして太陽が放つ放射線が、ビッグマザーを少しづつ破壊しているのだとしたら、それは人間をはじめ固有の生物がずっと抱えてきた”死”というものが、ようやくビッグマザーの前に訪れようとしているということだろうか。時間と地球、そして太陽に身を委ね、過去の思い出に浸りながら残り少ない与えられたの時間を過ごすというのは、かくも穏やかで、ぬくもりに満ちたものであるとは、思ってもいなかったのだ。

 ひょっとしたら、とビッグマザーは思う。私は、愛しくてやまない人間と同じ運命に向かって進んでいる、だからこそ、いままさに幸せだ、と感じているのではないだろうか、と。

--

 坊西は状況を報告するべく吉永のいる作戦司令室へ急いだ。
 吉永は黙って状況を聞くと、すぐさま捜索艦隊の編成に取りかかった。

「田之上を呼んでくれ」
「田之上少将に捜索隊を?」
「いや、俺の居ない間、月面基地の司令官代行を頼もうと思ってな」吉永は呑気に言った。
「は?」
「捜索隊は俺が行く」

 司令官であるあんたが月面基地(ここ)を離れてどうすんだ、と坊西は心の中で頭を抱えた。明らかに暇を持て余しているのだ、吉永は。

「俺の旗艦も、最近まともに運航してないからなあ」
「え、重ミサイル戦艦北九州で赴かれるのですか」
「うむ。重大な災害に見舞われていたとしたら、人員救護などの収容能力がないといかんしな」吉永はその脂肪のついた首をぐるっと回した。
「は、はあ」坊西は、それなら戦力を整える必要などないのでは、と喉の先まででかかったが、一理ないわけではない。吉永本人が行かないのであれば。
「あと、ミサイル巡航艦や軽駆逐艦に、輸送艦を十隻ぐらい仕立てておいてくれ。そうだな、0950には出発する」坊西の心情を知ってか知らずか、吉永は自信を持ってそう指示すると、鼻歌交じりに別室へ下がろうとしている。着替えるのだろう。
「各何隻ぐらい仕立てればよろしいでしょうか」
「ま、その辺は十隻前後を適当に。補給が済んでる奴な」
「は、了解」
「あ、輸送艦、できれば食糧をたくさん積んで、ついでに軍医も多めに放り込んでおいてくれるといいな」
「・・・了解」
 この緊急時に、何と言う命令だ。坊西は、別室へ向かう吉永の背中に向けて、辛うじて応えた。

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「セシル? 本当ですか?」フレアは、生体保存室に入れられている目を見開いた血まみれの肢体を見て、思わず呟いた。

「セシル・カーライル、十六歳。大統領秘書官。一級情報工学技師。約一時間ほど前にテロリストに襲われ重態となったそうです」担当医師はフレアにそう伝えた。
「一時間!?」

 絶対零度に限りなく近い状態で瞬間保存されたセシルは、液体窒素と液体ヘリウムで満たされた特殊クローニング槽に入れられ、生と死の狭間を行き交っていた。

「保存措置をしたのは何分前です」
「およそ・・・三十五分前です」
「なんだって。二十分以上、放置していたと言うのか・・・」
「警察が検分するというので、引渡しに手間取ったのです」医師はおずおずと答えた。

 どういう石頭なんだ。フレアは呆れた。何より緊急措置が必要な患者を悠長に二十分以上転がしておくとは。

「で、処置として他に何か行ったのですか」
「手の施しようがありません。右肺から背中に向けて貫かれて血液の二割を失い、意識を回復させることも困難です。大動脈を損傷していて、心機能を回復させることもできません。頭蓋骨も骨折し、脳圧が高いままになっています」
「それだと、冷凍状態から解放して数分もしないうちに臨床学的死が訪れるでしょう」

 いま、セシルは時間を止めて死の訪れを先延ばししているだけの状態だ。そこにアミノ酸ゲルを傷口へ詰め込み、胚細胞から促成分裂を行ったところで機能を回復する前に死亡が確認されるだけだろう。

「彼女の遺伝子ファイルはありますか」
「はい」
「まず造血措置を。血清をまず確保するのです」
「そのように」
「その後・・・彼女の頭の部分だけ処置します。頚動脈、静脈にバイパスを作って人工心臓をつなげてください」フレアは鋭い目線を担当医師に投げた。医師は驚きをもってフレアを見る。
「えっ」
「それしか方法はありません。急いで」
「は、はい」
「失った機能を、一つひとつ、丁寧に作り直して最後に彼女の心臓を動かす。あとは運任せになりますね・・・」
 医師は端末に飛びつく。「資材センター。オーダー血清を3パック」

 フレアは、セシルの口元にこびりついた血の塊をじっと眺めた。

--

「え、俺が司令官代行すんの?」

 田之上は命令を聞いて唖然とした。パーソナルモニターの向こうでは、吉永が遠慮なく着替えているのが見える。

「うん、俺が見てくることにした」吉永はこともなげに言う。

 吉永と田之上は同じ少将であり階級は同じだが、入隊年次が吉永が上の分だけ立場も吉永の方が上だ。しかし、あまり偉ぶらない吉永は、気さくに田之上と肩を並べて戦い、田之上も別段気にすることなく吉永と腹を割って話していた。

 二人に共通することといえば、近年の地球連邦軍の新しい戦い方−−機動力を重視し、低火力でも一斉射撃と艦隊運用で戦果を出す戦術についていけなくなった「過去の人」との評価を連邦軍のなかで下されているということである。吉永はともかく、田之上はその評価を伝え聞いて、卑屈になるでも開き直るでもなく、ごく淡々と受け入れ、補給部隊であろうが地方警備の総督だろうが引き受けるつもりでいた。むしろ、前線に立って敵を屠ることそのものに価値を見出しているわけではない田之上にとっては、戦術面での遅れを指摘されるより局地戦で損害を出し部下を死なせてしまったことのほうが堪えるのであった。

 田之上から見て、吉永はもっと漠然とした不安を抱えているように思える。どちらかというと天才肌の吉永は、一時期元帥ダハル・オーサに可愛がられていた時期があることもあって、いまだ大艦隊同士の大規模戦闘に対しての郷愁に近い拘泥があるように感じられるのである。吉永と酒席を囲むと決まって戦術論、戦争論に話が及ぶ。脾肉の嘆をかこつという表現に近いことを、吉永は時折漏らし、それがまた田之上の心配性にひっかかるのであった。

「てっきり俺が探索に出されるもんだと思ってたんだけど」田之上は首をかしげると、吉永は例によって少し含み笑いをしたような表情になって言った。
「ちょっと気になることがあってさ」
「何それ」
「俺も行方不明になろうかなあ」
「おいおい」田之上は笑ったが、吉永という先輩は時としてドキッとすることを平気で言い、そして実際にやってしまうのを幾度となく目の当たりにしている。
「冗談だよ」
「吉永が言うと冗談に聞こえない」田之上は首を振りながらにやりと笑った。「まずないと思うけど、月面基地が誰かに急襲されたらどうするんだ」
「星野か永井がいるだろ。どうせなら小椋や岡本も用意しておけば?」
「何か適当だな」
「何もないとしても、月面基地に収容している戦力の半分ぐらいは軌道上に遊弋させておいたほうが賢明かもな」吉永は、軍服からユニフォームに着替えると田之上を見た。「どうも、今回ばかりはいままでの出来レース(ポニーウォー)とは違うようだし」
「前のときもそんなことを言ってなかったかね?」田之上は笑ったが、吉永は真顔で答えた。
「毎回そう思うようにしているんだよ。油断しないようにするために」

 そこへ、血相を変えた坊西が飛び込んできた。

「大変です、閣下。東京第五階層で、テロが発生して大統領秘書官が重態だそうです」
「なぬ」
「警察はテロリストとして一級指名手配しているシェルミーの犯行と断定しました」
「ほんとかなあ」吉永は首をひねった。
「は?」
「や、独り言。気にしないでいいよ」
「は、了解」
「ま、それはそれとして、目先の吉田艦隊救出大作戦だな。さて、レッツゴー」

 田之上は、一通りそのやり取りを見て場違いな笑いがこみ上げてくるのを抑えるのに精一杯だった。

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「ちょっと! 帆足! ほーあーし!」

 何だか誰かが自分の頭をガクガク乱暴に揺らしている。耳元では呼ぶ声がする。

「な、なんだ・・・」帆足が薄目を開けると、サキは少しほっとした表情で軽々と帆足の上半身をつかみ起こした。
「いったい何をしてんのよ。あんた」サキは帆足をデスクチェアに力づくで座らせると、呆れたように言った。
「僕は、いったい?」
「こっちが聞きたいわよ」サキも、備え付けの椅子に座って足を組んだ。「なんか、いきなりゴトッとかいって倒れる音がするんだもの。こっちの眠気も覚めちゃったわ」
「それは済まなかったね」帆足はさして済まなくなさそうに答える。

 帆足はエイリアの瞳を覗き込んで、倒れてしまったことを思い出した。初めての感覚、エイリアが呟いた異様な台詞。気を取り直した帆足は、改めて部屋の端っこにうつむいて座っているエイリアを見た。

「何よ。あんたを起こしたのはあたしなんだからね。少しは感謝の気持ちのひとつも持てないの?」
「あ? ああ。ありがとうよ、サキ」
「何だかちっともありがたくなさそうね。ずっと寝てても良かったのよ?」

 帆足は、ちょっと考えると、サキの話には答えずに言った。

「サキ。ちょっとお願いがあるんだけど」
「悪いけど、あんたのような男、タイプじゃないの」
「こっちに来て」

 帆足はすっくと立ち上がり、サキの右腕を掴むとエイリアの前に立たせた。

「何なの?」
「いや、試してみたいことが・・・ねえ、エイリア」

 帆足は、エイリアの両肩をそっと触る。まるで茂みの音に気づいた小鹿のように、エイリアはビクッと小刻みに震えると、帆足を見上げた。

「ねえ、サキ。ちょっとエイリアと見詰め合ってみて欲しいんだ」
「はあ?」
「ほんの数秒でいいから・・・あ、少し待って」

 帆足は自分のデスクのうえから、何やら機械を取り出すと、その様子を記録し始めた。サキは不審そうな表情で帆足を見遣る。

「オッケー。じゃ、はじめて」

 サキはエイリアの透き通るような瞳をじっと見詰めた。エイリアも、最初はサキから視線を外していたが、いったん視線が合うと、しばらくサキと見詰め合っていた。

「ね、これが何なの?」

 サキが帆足に抗議の声をあげようとした瞬間・・・サキの脳裏に何かが投影されはじめた。最初は数本の光が、やがて光の帯となり、布となってサキの視界を占領し始めると、サキの脳内の神経回路を駆け巡る熱線となって全身を揺さぶった。

「ぐあっ」

 慌てて思考をブロックし、エイリアからその視線をサキは外そうとしたが、凄まじい量のデータが瞳から叩き込まれ、逆にサキの思念はその人格ごとエイリアの中に吸い込まれるようにサキから消え去ろうとしていた。鼓動が速く、強くなる。いかに優秀なエスパーであるサキであったとしても、何とか意識を吹き飛ばされないように何とか踏みとどまるのが精一杯だったが、そんなサキの努力をはるかに超える出力がサキの精神を圧倒していった。

 その間にも、エイリアから流れ込む情報の光は幾重にも折り重なり、濃い光と薄い光のまだら模様となったまま、フラクタル模様の風景を描き出す。ある場所では揺らぎ、ある場所では整然とした光の列となり、湧き上がる明暗の本流がひとつの絵図となってサキの知覚に到達するまではそれほどの時間はかからなかった。

「こ、これは?」

 その光が、オレンジと緑のまだら模様に集約され始め、サキの意識は見たこともない空間の中で立ちすくんでいた。サキがあたりを見回すと光を放たないこげ茶色をした大きな柱が何本も立ち並び、その柱に茶色いいくつも分かれる柱が上に向かって伸びていて、見上げると薄く光を反射する緑の楕円形の物体が、ひらひらと風に舞うように細い柱にしがみついている。その緑の物体の間からは、温かなオレンジ色の光が漏れ出で、湿っぽい空気と柔らかいその床はサキが生まれてこの方見たこともない不思議な空間に放り出されたことを証明していた。

 サキは呆然としていた。

 エイリアの凄まじいばかりの視線の力が、サキの肉体から精神と人格を引き剥がしたという事実に気づくまで、なおしばらくの時間がかかった。あたりを伺うために耳を澄ますと、風が柱で舞ってざわつく音や、甲高い信号音、そして何か液体が流れる音の集体が無秩序に広がり、それでいて決して不快を感じさせない。

 足にぬめりを感じてふと下を見てはじめて・・・サキは何一つ身につけていないことに気がついた。

「これは、どういうことなの」

 思わずサキは立ちすくむ。しかし、どうにかしてこのエイリアの作り上げた幻想の空間から帰還せねば。考え直すと、周囲の状況を確認するべく意を決してサキが歩き始めた矢先。

『・・・でな・・・・・なる・・・の・・・よ』

 何者かが、サキを呼ぶ。深く暖かい感じの女性の声だ。その”声”の主を探して、神経を集中しながらサキは素早くあたりを見回した。が、程なくそれは声ではなく、頭の中に直接響き渡るものであることに気づいた。

「普通のテレパスではない!」サキは鋭く言葉を発した。「誰なの!」

 サキの通る声も、まるで宇宙空間で発するパルスのようにあたりに吸い込まれ、それに呼応するかのように甲高い音がまたけたたましくあたりを騒がせている。

『落ち着・・・、サキ・・・・よ』

 サキは息を整えた。この状況ではどうあっても相手にイニシアチブがある。出方を伺うほか方法はない。

『心・棘を・・収めなさ・・・・・・のなら』
「誰? ここはどこなの?」極力、心を穏やかにしてサキは問いかけた。
『慈悲深き天王星の子、サキよ』
「???」

 サキはまた混乱した。天王星の子?

『・・気を・・・密・・のだ、・キよ』
「これは?」少しづつ、鼓動が収まっていく。
『・・・力を抜き・・・、・自我を鎮めよ』

 サキは再び深呼吸した。宇宙船の空気とは違う、大気というものを初めて感じた。

『ようこそ、星系規模データリンクへ。サキ、貴女を歓迎します』
「データリンク?」
『ここは貴女方人類を生み育んできた死せる星の記憶の中に構成されているのです』
「この柱は? この音は?」
『その血液、その細胞、その遺伝子に組み込まれた貴女のそのはるかな記憶を再現した世界です。この森の木々も鳥も獣たちも皆、貴女の訪問を喜んでいるんですよ』
「これが、森?」
『貴女の肉体が私たちのことに気づかなかったとしても、その精神はこの地に根付いているのです』
「あたしはあたし、でしょ・・・」だんだんと、サキはか細い声になっていく。
『貴女は気づいているはずです。その身体も話す言葉も、全て人として生きてきた貴女の祖先から受け継ぎ広げてきた叡智、それそのものであることを』
「え・・・」
『天王星のサキよ。貴女方は死せる星の子供たちです。貴女の後にも先にも、永遠という名前の時間が横たわっています。貴女方の命はほんの一瞬でも、木々が落とした実から再びその命を宿らせるように、またその新たな幼い手を固く結び、新たな約束の地に根付くのです』
「ねえ。ここはデータリンクなんでしょう。なぜデータがあたしに語りかけるの?」
『機械使いの<力>を借りて、いま貴女とようやく語り合える機会ができました。天王星のサキよ。強き心を持つ歴戦の勇士よ。忍びなさい。鋼の強さより、水の強さを求めなさい。力をその主とせず、力を携えて脇にありなさい』
「水の強さ?」
『貴女の中に宿ったこの古(いにしえ)の時代から広がる森林の光景こそ、私たちが貴女に与えられるささやかな贈り物です。人類の新たな扉は開かれました。しかし、その光たる主人ではなく、影なる従者として、その使命を全うすることを、私たちは願っています』
「待って。”声”よ、あたしはまだ何も分からない!」サキは叫んだ。
『サキよ。大丈夫。私たちは、常に貴女の内なる宇宙にあります』
「内なる、宇宙? 何それ・・・」
『その答えは、貴女の未来に用意しておきました。そのことだけを、伝えておきたかったのです。さあ行きなさい、天王星のサキよ。何も怖れることはありません』
「全然何なのかわかんない! ちょっと待って! 教えてよ!」

「おい! おい!」帆足が揺り動かす声で、棒立ちになったままのサキは一瞬のうちに現実に引き戻された。まだ、わずかに足元がふらついている。いまのは、いったい・・・。
「良かった、気づいたか」帆足はちょっと安堵した表情だったが、今度はサキが抗議した。
「何するのよ! もう少しだったのに」
「いや、ちょっとそれどころじゃなくてね・・・」帆足はサキへの説明もそこそこに、その視線をドアに向けた。

 サキもドアに顔を向けると、そこには三井と犬伏がニヤニヤしながら立っていた。

--

 帆足が目覚めたのとほぼ同時に、目を覚ました不幸な軍人がいた。

「・・・長。吉田艦長!」

 遠い意識の向こうから、誰か自分を呼ぶ声がする。暗闇の中で吉田はありったけの力を込めて瞼を開ける努力を重ねた。

 その直後、吉田は頬っぺたに鋭い痛みを感じて目を覚ました。視界いっぱいに渡辺の顔がいくつもの像を作って広がっている。

「ここは!?」吉田がガバと起き上がると、そこは最後に記憶のあった艦隊指令ルームの床の上であることに気づいた。渡辺中尉は吉田をひっぱたいた直後に吉田が目覚めたのでばつの悪そうな顔をしている。

 フロアには、いまなお気を失って倒れている部下がそこここに転がっており、非常電源によって灯された暗い明かりがアクシデントが現実のものであることを物語っていた。

「渡辺、状況はどうなんだ」
「分かりません、艦長」渡辺は即答した。

 地球連邦の補給・救援を主任務とする吉田艦隊、通称”吉田レフティーズ”は完全にその機能を停止してしまっていることだけは確かだ。いままで幾度となく戦況を左右する場面で的確な救援活動を行ってきたが、まさか前線にたどり着く前に制宙権のある宙域でトラブルに見舞われるとは思ってもいなかった。

「渡辺、まずは状況を掌握しろ。意識を回復しているものがいたら、その半分を他の乗員の救護に充てろ」
「了解」
「篠原艦長はどうした」
「連絡がつきません」

 渡辺は倒れている他の乗員をまたぎながら、もっさりとメインコントロールパネルへと向かっていった。

 艦隊が機能を停止したのはあっという間だった。月面基地から木星軌道上に向けてダハル・オーサ艦隊の駐屯宙域に航行中、突然艦隊後方から得体の知れない高周波の思念が全乗員に向けて発せられたのである。

 しかも、その思念の中身はあまり定かではないが、記憶の限りでは『ちょっと追い越すよー。どいてー』であった。ふざけた内容である。しかし、内容がどうあれ、この思念によって艦隊全体が一瞬にして機能麻痺に追い込まれたのは事実である。

 吉田は痛む頭を抱えながら、通信回路を開くよう司令官パネルを開けようとしたが、電力系もいかれているのか通信モジュールが故障しているのかうんともすんとも言わない。出力を最大にし、力いっぱいの大声でマイクに「本日は晴天なり」を絶叫するが、少しも状況が改善しないのである。

「本日は晴天なり!」
「本日は晴天なり!」
「本日は晴天なーり!!」

 薄暗い司令室で、ただ吉田の叫ぶ声だけがこだましていた。

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 坊西は後ろ手を組みながら、冷めた視線で飛び立つ急造吉永艦隊を窓越しに見送った。一刻を争う事態かも知れないのに、鈍重な戦艦を筆頭にした旧型の予備艦船ばかりで、しかも火力だけは豊富に持つという、まったく意味のない陣容だ。少なくとも、坊西はそう判断していた。これでは吉田艦隊が重大な事態に陥っていたとして、それに間に合うとはとても思えない。

 艦隊出立までの一時間弱、坊西は手を尽くして情報収集に努めたが、事態は一向に掴めなかった。生憎、主力のオーサ艦隊が航行する進行上は民間の船舶の立ち入りを禁じていたため、民間の船団による情報提供は望めない。

 しかも、緊急発進させていた無人探索船による捜索も全て不発に終わり、吉田艦隊の状態はおろか、その正確な位置さえも分からない。人事を尽くして天命を待つと言うが、尽くすべき人事の最後が吉永艦隊であるという時点で、坊西は天命を待つ気になれなかった。もし、案の定吉永がしくじって、自分もまた責任を問われる事態となったらどうすれば良いのだろう。

 坊西はキリキリ痛む腹の辺りをさすりながら、とぼとぼと自分のデスクへと戻っていった。

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「血清ができない? そんな、そんな話があるものですか」わずかに、フレアの語気が荒くなった。その言葉をもってしても、医師は呆然と頭をかくばかりである。
「それが、うまく血清のサンプルレセプターに、患者の遺伝子コードがはまらないのですよ」
「自動入力だとある話でしょう。個体差の発生するオリジナルの部分だけ手動でやってみましたか」
「それでも無理なんです」
「どいてください。私が」

 フレアは半ば強引に端末のコントロールパネルを医師から奪い取ると、セシルの遺伝子コードを圧縮していたデータを解放した。画面いっぱいに広がるACGT四種類の英字が凄い速さで画面をスクロールしてゆく。一見、何の問題もなさそうだ。だが何故。

「四種類・・・」

 フレアは口ごもった。何度も出力を繰り返し、フレアの超人的な視力がセシルのオリジナルコードの羅列を解読する。

「四種類!」

 フレアは思わず腰が浮き上がった。バカな。医師が怪訝な表情でフレアを見遣る。

「どうしました」
「君。ここで見聞きしたことは口外しない自信はありますか」
「それは・・・患者のプライベートですから・・・」
「そういう意味ではない・・・だが説明する時間もない、人類のデフォルトコードが既に埋め込んである血清サンプルではなくて、何か、試験用のサンプルはありませんか」
「試験用?」
「そう、何もコード化されていない、未フォーマットのもので構わない」
「動物実験用のものでしたら」
「それだ! すぐにそれを」
「わ、分かりました」

 通常であれば即死の状態でなお、一時間経過して生きている。しかも、現場に二十分近く放置されていて、だ。奇跡としか思われない。しかし、もし、もしも彼女が現在の人類ではなく生命力に優れたオールドタイプであったとしたら。セシルは日本政府のプロジェクトで蘇生された個体ではない。亡くなった彼女の両親もまた優秀なテレパスであり、その出生や成長の経過も詳らかである。だからこそ、大統領秘書官として着任していたのだ。これはいったい、どういうことなのか。

 そんな疑念を抱きながらも、フレアはセシルの部分解凍にとりかかった。今日一日では、蘇生治療は終わるまい。だが一方で、現代人類の父であり、また自らの父親でもあるスティーブン・ハイアットが手がける前の、オールドタイプそのものが目の前に横たわっていることに場違いな興奮を抱き、わずかに、手のひらを汗で濡らした。

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