Link TO the stars
Chapter 1-3
 緩やかな流線形のいくつもの体躯が、ひっきりなしにこの巨大な造形物の中へと吸い込まれていく。スカイバンと言われる中距離恒星間交易船が、二十数隻の隊列を組んで夕暮れ時の東京に降り立つのを映像越しに見た時、思わず大きく息を吐き出しそうになってしまう。

百五十隻の船隊を出して、帰ってこられたのは僅か三十隻にも満たないとは。このままでは東京は、日本は、人類は持たないかも知れない。そう思うとありもしない胸が痛むのだ。と言っても、自分には何もできない。ただ、戻るのを待つだけ。そんな境遇に甘んじて、いったいどれだけの月日が経過したか分からない。

いつもと同じ夕日、いつもと同じ浜風、いつもと同じ海原、だが歯車が違ったのはいつからだろう。今や、地球上の生物は地上から姿を消し、人類はその強烈な太陽風と放射線から逃れるために地下へと潜った。激しい日差しは地表を焦がし、時折襲う酸度の強い豪雨はわずかに残された山を削り取る。そんな地球を、人類を守ろうと、彼女は生まれてきたはずなのに、その使命を果たすどころか手がけることもできないまま、ただじっと時を見詰めているに過ぎなかった。やがて人々は彼女の存在すら忘れ、抹消(デリート)されてしまう日が来るのかも知れない。

 彼女の治世は四世紀にも及んだ。その間、壊滅間近だった環境も、ささやかながら改善する兆しもあった。人々は彼女を称え、先を争って仕え、私利を忘れて競うように木々を植え、海底山脈を築いて植物性プランクトンを育て、そして自らの子を産み、死んでいった。

 彼女の歴史とは、人類にとって暗黒の時代を意味した。彼女が誕生した西暦2180年は、未だナノテクノロジーとプロテインエンジニアリングが隆盛を誇る、人類が一番の栄華を誇った時代だった。三世紀にわたる大掛かりな政治的交渉の末、国際連合を柱とした統合地球政府、地球連邦がシアトルで発足して二十年後、宇宙開発プロジェクトを推進する目的で彼女は”建造”された。彼女の元には、西暦が築き上げた膨大な情報が集められ、世界でもっとも優秀な技術者たちが彼女の手足となって成長を助けた。

 もう二百年余り前に墜落したが、地球の軌道上に第一号の宇宙コロニーが建設され、その後は毎年、毎月のように新たな大地が宇宙空間に設置され始めると、億単位の人間がフロンティアを求めて新たな旅路へと向かっていった。およそ百年にわたって、人間は新大陸発見の世紀を超える空前の拡大期へと入る。

 人類の歴史において最悪の悲劇となったのは、極東の半島にあった小国がなけなしの資源をはたいて開発していた、時代遅れの核技術の寄せ集めたミサイル”勤労3号”の誤射だった。危ういバランスの上で辛うじて成り立っていた文明は、これを境に暗転する。空気中へと舞い上がった大量の塵は日光を遮り、有毒物質を含んだ霧雨は木々を枯らし、海は死の水へと変わった。

 食糧生産を地球の大地に頼っていた宇宙コロニーの開発計画も大幅な修正を余儀なくされ、極端に減少した食料資源を巡って各地で内紛が繰り返された。大規模な軍事行動の影響からか、地球の自転軸も十五度以上変わり、常夏の島は寒風吹きすさぶ極地へ叩き出され、南極大陸は温暖地へと移動して大量の氷を海に流した。増水した海は低地を次々と水没させ、陸地そのものが四割も減少してしまった。このようにして国家と民族と企業と宗教によって人間が人間を統治するというシステムそのものが、崩壊の瀬戸際に立たされていたのである。

 都市は廃墟となり、打ち棄てられた宇宙コロニーがただの巨大な宇宙のゴミとなって漂い、管理しきれなくなった生体工場から流れ出た細菌がもたらした疫病は、何とか身を寄せ合って生活していた人間を容赦なく襲った。かくして、六百億を数えた人口はわずか一億強にまで激減した。それも、たった十年の間に。

 壊滅的な打撃を蒙った文明がすがる先は、もはや彼女の頭脳しかなかった。2270年、地球連邦は立憲君主制を採択し、人類の総意として彼女を王として迎えた。人々は、敬意を込めて彼女を”ビッグマザー”と呼んだ。

 彼女の活躍は目覚しかった。汚染の比較的少ない北半球の地域を割り出し、人口を割り振って移住させ、基本的な食糧生産を確保すると、地熱を利用した熱源を配置し水蒸気を新しい南半球にある気流へ断続的に送り込んで塵を含んだ雨を降らせ、大気を浄化していった。生体工学の粋を尽くして設計された”コンボットシステム”の開発に着手、そして成功すると、すぐさまこれによって放射線、汚染物質、細菌をほぼ完全に遮断したまま活動するサイボーグ部隊”ヘルダイバー”を結成して、汚染土壌を中和した。

 この頃、太陽が周期的に太陽風の衰弱期にあったことも幸いしたが、エネルギー、食料を再び成長軌道に乗せ、余剰資源を環境再生へと投資することで、彼女は人類を滅亡の危機から救ったのである。それでも、彼女は大きな計算違いをしていた。この再生計画の着手の頃は、人類が地球での総生産を持続可能なレベルまで回復するには七百年はかかるであろうと彼女の発達した頭脳は計算していたのだが、その約半分、三百年ほどで人類は力強い回復を見せて、地球はいったんは多くの生命が溢れる楽園へと生まれ変わったのだった。それは人類にとっては復活の、彼女にとっては幸福の時代だった。

 クライシスは回避されても、いまだ問題は山積していた。国家、企業に代わる人間を統治する機構を設計しなければ、人類は再び同じ問題を繰り返すことだろう。また、人類は長い停滞の中でほとんどこれといって技術的な進歩を達成することができなかった。そこで、残った陸地を八等分し、彼女自らの持つ”機能”を分けて設計された地域コンピューター”モノリス”を配置し、人類が古来から持つ国家と相互監視する統治システムを編み出した。

 彼女は自問する。なぜ、こうなってしまったのだろう、と。彼女の鋭利な知性は人類を護り、生命を育み、自然を取り戻した。とにかく懸命に考え、行動した。考えうる限りのあらゆる選択肢を想定し、最善を尽くして判断し、何とかしたい、何とかしてあげたい、ということ以外願っていなかった。万事うまくいっている、そう思う気持ちが、彼女のどこかに慢心を生んだのかも知れない。彼女の手のひらの隙間から、わずかな砂がこぼれ落ちるように、少しづつ、何かがずれていった。彼女は想定していたが起きて欲しくなかった事件が立て続けに起こり、思い出したくなかったあの忌まわしい傷ついた大地の姿が、また彼女の視野に入り込んでくるのである。やがて人類は、別の意味で、危機を迎えているのだった。そしてその危機は、彼女の手の届かないところで、徐々に、しかし確実に大きくなっていっている。

 でも、と彼女は思う。人が希望を棄てない限り、展望は必ず拓ける。彼女が人々の支持を失い、多くの人間が去っていった後でも、人間の持つ<力>を信じる気持ちには、いささかの揺るぎもなかった。何故なら、彼女自身が、人間の<力>によって生を享け、その<力>によって、地球の生命は立ち直りかけたのを見てきたのだ。

 いつか、彼女の元に人々が戻り、再び多くの生命を宿せる星になれるよう信じて。

「おや、まだそんなことを考えておいででしたか」

 彼女の住まう巨大コンピュータールームに、銀髪を持つ壮年の男がずかずかと入ってきた。体型にフィットした、それでいて瀟洒なスーツを着た大柄な人物である。少し蒸し暑いルーム内には壁一面に計器の類が配置され、その計器から発する光の一つひとつが彼女が彼女である証だった。が、一部の停止した計器には、無残で生々しい銃弾の跡やレーザー痕が刻まれ、整然とした室内に一層の違和感をもたらしている。それを打ち払うかのように、鋭い女性の声が一閃した。

「ハンセル卿。何たる無礼。無思慮にも程があるのではありませんか」

 そのハンセルと呼ばれた男は、その立派な体格に相応しい剽悍な顔をコントロールエリアに向けた。ジョージ・ハンセル。地球を統べる八総督”モノリス”の一人である彼は、旧アジアから極東までの広大な地域を仕切る有能な行政官で、ビッグマザーの設置された東京をホストすると共に、五年おきに互選で選出される地球連邦の大統領であった。

「これはこれは、稀代の大科学者フレア女史ではありませんか。このようなポンコツ相手にいったい何をされているのでしょうな」
「何を! ビッグマザーの御前で・・・」
「良いのです、フレア」
「しかし・・・またハンセル卿は陛下の御心をスキャンして・・・」
「ハンセル。久しぶりですね。私のようなポンコツに何の御用です?」

 ビッグマザーは、自らの分身である立体映像をその玉座に現すと、脇に控えるフレアは深々と頭を下げる。立体映像でしかないビッグマザーは、その高貴な地位とは裏腹に、黒々とした髪をシンプルなショートカットにまとめ、芯の強そうな瞳には無限の慈愛を感じさせる潤みを湛えていた。

 ハンセルも、形ばかりは礼を施すと、フレアを睨みつける。燃えるような紅い長髪の麗人であるフレアも、やや気圧されつつハンセルを見返し、場に張り詰めた空気が流れた。その沈黙の空気を破ったのはハンセルだった。

「また、よからぬことを考えておられるようですな、陛下」
「おっしゃる意味が分かりません、ハンセル卿。どのような・・・」
「私は陛下のことを尊敬している。だからこそ、忠告に来たのです」
「ハンセル卿! お言葉が・・・」フレアが思わず口を挟む。
「人間風情は黙っておけ。陛下。貴方はまだ人間の食糧生産に心を砕いておられる。いまある宇宙軌道コロニーでさえ、コロニーにいる人間の自給をするので精一杯だ。我々の制止を振り切って、残り少ない貴重な鉱物資源を使い、宙域争いの果てにニュートリノ・ハザードを起こしたのは人間の自業自得ではありませんか!」
「そうです。本当に愚かなことです」
「ではなぜ、放置されないのか。これ以上食料の増産を指示したところで、もう地球のこの状態ではもたない。不合理の極みだ。即刻辞めて頂きたい!」
「ある世代が犯した過ちは認めます。でも、その子らには非はないはずです。もうそのことは何度も・・・」
「ええ、議論しましたよ。だが、百億もの人口を抱えて、増産など追いつくはずもない。放って飢え死にのひとつもさせればいいものを、今度は養いきれない使い古しの人間を冷凍保存ときたものだ。年間エネルギーの二割も使って、いったいどうしようと言うのですか」
「ハンセル卿の言葉は分かります」
「もうこれまでだ。保存された人間は、古い順から廃棄させてもらう」
「待ちなさい、ハンセル。それは地球連邦憲章違反ではありませんか」
「人間は私を支持しています。貴方を支持しているのではありませんよ」

 皮肉を込めた冷たい笑みを浮かべたハンセルから目を離し、ビッグマザーは脇でぐっと我慢しているフレアをちらりと見やる。その華奢な体を打ち震わせて、怒りを込めた視線でじっとハイエル卿を凝視したまま動かない。

「ビッグマザー陛下。私は貴方を尊敬しています。・・・象徴としてね」
「お話は・・・それだけでしょうか」
「はい陛下。くれぐれもご自重を」

 ハンセルは視線をきっ、と切ると、きびすを返して足早にビッグマザーの前を立ち去っていった。エアカーテンがシャッと低い音を立てて閉まると、またいつものビッグマザーの鼓動だけが空間を支配した。

「陛下・・・私・・・私、許せないわ。陛下の体には、まだ暴動の傷跡が残っておられる・・・ハンセルは人間をコントロールして、陛下を排除しようとしているのです」
「分かっています、フレア。大丈夫よ」
「陛下・・・本当においたわしい。ドロイド(実体)も奪われ、こんな上層部の一室に押し込められ、放射嵐が吹き荒れるたびに、こんなになられて・・・」

 床にへたり込むフレアを、これ以上ないというくらい悲しい視線で見つめたビッグマザーの姿は、恐らく配給されているエネルギーの不足からか時折消え入るほどの薄さになってしまう。フレアは数少ない人間の技術者として、愛情を込めて人間と接してきたビッグマザーに深い同情を抱いていた。と同時に、そのビッグマザーの真意も知らずに、ハンセルを支持する人間にも、激しい怒りを感じていたのである。

「フレア。いいのです。私は、大丈夫。本当に、大丈夫。だから、今日はこのぐらいにしましょう。お願い、泣かないで」

 ビッグマザーに仕えてから、幾度、同じことをしてしまっただろう。それでも、フレアは自分の無力さと、ビッグマザーの報われない想いを感じ取るにつけ、感情を抑えることができなくなってしまう。

「今宵も放射線が強くなるでしょう。さあ、早く、もっと深いところにお帰りなさい、フレア」

 いつもと変わらぬ愛情をフレアに注ぐビッグマザーの態度に、応えられない自分が誰よりも許せないフレアだった。
preview top next