|
軌道エレベーターまで、ものの五分。プラットフォームを動かすパワーアームの手のひらの上から、もはや巨大構造物としか言えない東京の吹き抜けをぼんやりと見詰めていた。プラットフォームに据えつけられた椅子の座り心地を吟味するより、窓の外に見える東京の姿が俺の興味を引く。
東京の巨大な断面。第二階層といわれたあの街で不思議に思っていた、見上げても見えない天井の意味が、ようやく分かったような気がする。深さ4キロないし5キロぐらいまで掘り下げられた地盤は巨大なコンクリートらしき建造物の崖となり、そのグランドキャニオンのような空間をプラットフォームは移動していく。ところどころ、壁の途中にはむき出しの鉄骨やパイプがせり出し、黒い水を深い谷底へと吐き出している。いつから東京はこんなモグラの棲家になってしまったのだろうか。
ひょっとして、秋田もこんなになっちまったんだろうか。親父にやらされた雪かきも、自転車で二時間かけて通った学校も、祭りの時ぐらいしかまともに人の通らない商店街も、駅前で悪友どもとたむろした安っぽい喫茶店チェーンも、いまは何もかもが懐かしい。何しろ、千年だからな。ひょっとしたら、もう・・・。
何故だか悪い方に考える自分がもどかしい。思わず大きく頭を振って、こきこきと首を鳴らす。もう俺は何だか知らないが大きな歯車でできたベルトコンベアーみたいなものに乗っけられて、意思に関わらず行くところに行くだけの運命なんだから、考えるだけ無駄というものだ。というより、そうでも思わないと、楽な気分になれない。
そうこうしているうちに、軌道エレベーターらしきものが見えてきた。ガラスのような透明の素材でできたでっかいクリスタルが空中を浮いている。いったいどういう仕組みで空中にあるのだ。青空が吹き込む光を様々な色彩で周囲に跳ね返しながら、プラットフォームが近づくのを待ち受けているみたいだ。想像していたのとは随分違う。これが宇宙ステーションとやらまで俺たちを運ぶ機体なのか。なんか凄えな。まるで空飛ぶ宝石のようだ。
しかし、乗客はそんな俺の感動に共感しないどころか、さも普通のように落ち着き払った様相でおとなしく座っている。俺は過去から来た田舎者ということだろうか。
よく目を凝らすと、凄い細い紐のようなものが何本も空から垂れていて、太陽の光を浴びうっすらとその存在を示し、その細い紐にでっかい宝石がぶら下がっている。あんな細いのが俺たちを宇宙まで引っ張ろうってのか? っていうか、すげえ細いぞ? よく分からないが、直径で言っても二センチもなさそうだ。だが、軌道エレベーターの運行は199年から操業したというから、もう百年以上前から動いているということだ。つうことは、事故とか起きないんだろうな。きっと起きないんだろうな。そうとも、大丈夫だとも、たぶん。
『まもなく、軌道エレベーターに到着致します。皆様ご用意の上・・・』
やれやれ。周囲の人も動き始める。そのわずかな始動が、やがて大きな流れとなりプラットフォームへの人の列を形作り始めた。せっかちな連中だ。到着してから立ち上がればいいのに、これではまるで大阪人の集団じゃないか。
プラットフォームが軌道エレベーターに連結するべく停止すると、俺は意識してのんびり乗り換え口へと向かう。あの紐にぶら下がるんか・・・そんな躊躇をよそに、乗客は続々と開いた出口からクリスタルの中へと吸い込まれていく。
クリスタルの中は、天井から壁から床から全方向に視界を広げていた。無機質な東京の傷口に天空から垂れる”蜘蛛の糸”を群集がよじ登るという異様な感覚が、これから地球を去って未知なる宇宙へと旅立つ興奮を冷ましてしまう。
「お客様、座席はどちらがよろしいでしょう」エレベーターの受付嬢が、上品そうな笑顔を俺に向けて惜しみなく払う。
「一塁側、内野自由席」
「かしこまりました」
「一塁側があんのかよ!」
「ご冗談を。窓側ですね」
「う、うむ」この女、デキる。俺はそう思った。
二百席ほどのエレベーターには、半分も乗客がいない。よく考えたらそれもそうだ。これから地球連邦とやらは宇宙に住んでる連中と戦争をするらしいから。ということは、宇宙に住んでいる奴らは戦災から逃れて地球にUターンラッシュでもするところなんだろうか。そうこうするうちに、乗降口のドアが閉まり、出発の体勢が整ったようだ。座っている白いシートは何だかふかふかで、寝ろ、といわんばかりだったが、強制的に上向きにシートが動くと、さんさんと日光を降り注ぐ太陽が青空の向こう側で己の存在を強く主張していて明るすぎて寝ようがない。まるでプールサイドのデッキチェアのように、それでいて何だか落ち着かない微妙な振動が俺をイライラさせた。
『まもなく、軌道エレベーターが出発します。お客様はエアベルトをお締めください。宇宙ステーション駅到着は、二十五分後、0840を予定しております。進行中、横揺れ致しますので、座席からは立ち上がらないようお願い致します・・・』
何故か、俺の周囲には客がいない。これからどこへ放り出されるんだろうという不安と誰も知り合いがいないという孤独とを抱きしめる旅路になりそうだ。これから高いところにいくのだから、ちょっと地上の姿を見てみたい。そういう誘惑も感じながら、動き出すその時を待っていた。
ちょっとしたGを感じながら、少しずつ軌道エレベーターは音もなく上昇を始める。まるでジェットコースターが高いところへ動いていくようなものだ。やがて、思いのほか強くシートに押し付けられると、にわかにエレベーターは加速していく。
わわわ、速い。東京の地表を通過する瞬間、強い横揺れが軌道エレベーターを襲った。何とか声を発するのを留まったが、さらにエレベーターは加速して地球から無理に離れようとしている。引き続きGに身体を委ねながら、シートの床から見えるだろう地球を見ようと、無理に首をおこしてみた。
「な、なんじゃこれは!」
地球は青かった、とガガーリンが言った言葉とは程遠い、どす黒い液体が足下に広がる。その液体の割れ目がぱっくり丸くくりぬかれ、かつて東京だった地点を辛うじて指し示していた。ということは、あの茶色い山が日本アルプス山脈?
唖然とする他なかった。俺が航空写真で見ていた、あの綺麗な青と白に彩られた美しいあの地球と随分違う。えも知れぬ気味の悪い黒い海に囲まれて、ところどころ顔を出している赤茶けた陸地。俺が生まれた秋田周辺も、出羽山脈と思しき赤い山が何とかその存在を確認できるだけで、後は完全に水没している。やがて加速が終わったらしくGを感じなくなると、頭の真横に地平線がきて、延々と続く死んだ海と、やけに赤く見える空と、そしてさらに黒く無限に広がる宇宙が上に向けて広がっていく。これが、千年後の地球。
思わず、頭をシートにくっつけて、上を見た。つまらんものを見てしまった。大きく、強く息を吐いた。その後、何度かにわたる大きな横揺れが続き、いつの間にか身体が身体の重みを失っていた。やがて太陽が視点の横にくると、目の前には無数の星々が暗くなったエレベーター内をわずかに照らし始める。俺を支える蜘蛛の糸が、太陽の光を浴びて鈍い光を発し、俺の行き先を暗示していた。これを手繰っていくと、天国の宇宙ステーション。
ふわつく身体を、エアベルトがシートに押し付けようとする。その力そのものが俺にとって不快だった。落ち着かない。と同時に、疑問を感じる。自分の住む世界がこんな状況になっていま、ここに乗っている客は何を思っているんだろうか。生まれたときから、赤い大地や黒い海の下に潜って生活していると、何も感じないんだろうか。昨日すれ違ったたくさんの連中もそうだ。俺の何代、何十代と先の世代、いわば俺の子孫の奴らは、何の不安も不審も不快も抱かないのだろうか。いきなりああなったのか、徐々にか知らないが、るなは俺に「人間が人間同士戦争した結果、取り返しのつかないことになってしまった」と教えてくれた、とても悲しそうな顔で。
と同時に、だんだんと俺の心の向こうから、ふつふつとした怒りがこみ上げてきた。いったい誰だ、こんなにしちまった馬鹿野郎は。やっちまった奴も馬鹿だが、それをみすみすやらしちまった周囲の奴も馬鹿ぞろいだ。ひょっとしたら、俺があん時つまらん事故を起こして犬死してなければ、世界は救われていたのかも知れない。実は俺が一番の馬鹿なのか。
そんな馬鹿な思いを乗せて、軌道エレベーターは半身を太陽に照らされた円錐状の建造物の中へと吸い込まれていった。
--
宇宙ステーションの離発着ロビーは、人でごった返していた。おびただしい人々の波が、地球向けの軌道エレベーターに乗るためのチケットを求めて動き回り、無秩序な奔流となってロビー全体を埋め尽くす。何とはなしに、蒸し暑く、息苦しい。切羽詰ったらしき人の思いが、宇宙ステーション全体を包み込んでいるかのようだった。
俺は、るなに言われた通り「特別」というゲートを求めて、人の海をかきわけ泳ぎ続けていた。しかし、今になってちと気づいたことがある。俺はせいぜい180センチ程度の身長なのだが、俺より大きい奴に出会わない。人の海遊泳をしながら、あまり視線を遮られないことから思ったのだが、何故だろう。
苦労して歩き回ること三十分、ようやくそれらしきゲートと受付をしている窓口にたどりついた。窓口には小さなデスクが置いてあり、チビっちゃい赤毛の外人男がコンソールを開いて何やら操作している。
「なあ」
「はい。・・・ああ、お待ちしておりました。宮本さんですね」
「そうだ」
「こちらのゲートを通りまして、14番ホームにお進みください。宇宙コロニー・ニューメンフィス行きエア・バンが約十分後に出発します」
「ニューメンフィス?」
「はい、政府からパス(移動許可)が出ています」
受付の外人は俺を見て下卑た含み笑いをしている。何がおかしいんだ、お前は。
が、もうここまで来たら、先に進む他ない。振り返ったって何も残っちゃいないのだから。改めてそう気持ちを整理すると、さっさとゲートに入っていった。
ゲートを越えると、さっきまであれほどいた人ゴミが嘘のように、だだっ広い空間しかそこにはなかった。入るべき客のいない売店が、構内の端っこの方で寂しげに客引き用のライトを点滅させている。14番ホームへと足を進めると、そこには昔懐かしい電車のような、黄色い車体に銀色のストライプのエア・バンが出発の時を待っていた。三両編成の電車。こんなもんがニューメンフィスとやらに向かって俺を送り届ける、未来の装置なのだろうか。
とりあえず、一番前の車両の真ん中にある四人用のボックス席を占領してみた。他の車両も含めて、客らしき人間は俺しかいない。電車丸ごと貸し切り状態か。そう思いながら、ぼんやりと窓の外から駅構内を眺めていた。反対側のホームにどこかから来た満員電車が到着し、一気に喧騒が訪れる。電車から続々と吐き出される人が、やがて列となり、流れとなってゲートへと向かっていく。懐かしい、どこかで見た日常。それに近い光景が、俺にとってせめてもの気休めになった気がする。
エア・バンの発車音がする。慌しく駆け込み乗車をする人の影も、窓でさよならと手を振る家族の姿もない。ドアが閉まると、するするとエア・バンは宇宙ステーションの外へと動き出した。
『毎度、西武宇宙鉄道をご利用頂きまして、誠にありがとうございます・・・』
機械のアナウンス音が車内をこだまする。西武かよ。まだあったんだ。それにしても物珍しい。これが宇宙空間というものか。音もなくわずかな振動だけで、後は漆黒の宇宙の中できらめく、ぴくりとも動かない星々の光しか見えない。宇宙というと無重力かと思ったが、普通に重力が下に向かってかかり、何の感動も覚えなかった。きっと、またぞろこの電車自体に俺の知らない仕掛けがあるんだろう。あえて考えないことにした。
最初のうちはこれが宇宙空間か、と思って窓の外をぼんやり眺めていたが、ちっとも風景が変わらない。ものの十分もすると飽きてしまった。我ながら現金なものだ。だが、振動も音もなく、電車にたったひとりで乗っているのは、わびしい。鼻歌のひとつでも豪快に歌ってやろう。
「チュルルルル〜♪」
馬鹿馬鹿しくなってやめた。しかも音程が外れているのが自分でも分かる。誰にも見られていなくて良かった。人間、向いていないことはするべきではない。
それはそうと、いったいどのくらいで目的地に着くのだろう。どこかに停車駅案内でも掲示されてないだろうか、と周囲を見回すと・・・真後ろのボックスに長いコートの襟を立てた明るい緑色の髪の毛をした人が、背中を向けて座っていた。あれ、いつの間に乗ってきたんだ? 少し不審に思った。
「なあ、ちょっと・・・」
「振り向かないで!」
少年とも少女ともつかない、やや幼い声だが鋭い小声に驚いた。いや、これは声ではない。直接、俺の頭の中で響いている。背もたれにひじをかけたままの姿勢で、とっさにその場にうつむいてみた。何が何だか分からないが、ともあれ突然現れたこの子の言うことを聞いておこう。
「・・・ありがとう」
「君、だれ?」
「声に出さないで」
「・・・」
「話そうとするだけでいい・・・宮本幸司だね?」
「ああ、宮本様と呼んでくれ」
「時間がないんだ。ボクのいうことを、良く聞いて」
その瞬間、電車が急ブレーキをかけたように前のめりの強いGを俺にかけ、俺はどうすることもできず、そのままの体勢でボックス席の前座席に激しく熱いキスをした。
『停止信号です。そのまましばらくお待ちください』
「ブレーキかける前にアナウンスしろよ!」
思わず機械音の案内にツッコミを入れる、そんな間もなく、窓から「警視庁」と書かれたお馴染みの黒白塗装の物体が飛来してきた。なんだなんだ。警視庁のクルーザーが電車に横付けすると、警官らしき制服を着た男が5人ほど、銃器らしきものを手に車内に乗り込んできた。
「そこの男! おとなしくしろ!」
はじめからおとなしくしていた俺だが、抗議するのも無駄だろうから、さらにおとなしさを強調するべく両手を挙げてみた。警官が手元の小さな機械を何やら操作すると、俺に青い光を浴びせた。
「日本政府からパスが発行されています。ステータスは政府公使です」
ほかの警官に俺の身分を教えている。ほう、俺は日本政府公使だったのか。実に新鮮な情報だ。
「よし、ほかの車両を調べろ!」
まだ若い一人の警官を残し、どやどやとほかの車両へと入っていく音がする。少しこの警官と話したくなってきた。
「なあなあ」
「何だ」
「俺、政府公使なんだけどさあ」
「それがどうした」
「もう少しそれらしい待遇ってあるんじゃないの?」
若い警官は鼻で笑う表情をした。どうやら政府公使というのはたいした身分ではないらしい。
「それにしても、ものものしいな。いったい何があったんだ?」
「お前、この電車でほかに誰か会わなかったか?」
「誰かって・・・別にいないな。見ての通り、俺だけだ」
ほかの車両に調べに行った警官が戻ってくる。空振りだったらしい。
「この電車ではないようです」
「そんなはずはない。必ずいるはずだ。調べろ」
「センサーにもひっかかりません。誤報だったのでは」
警官が興味深い会話をしている。何かの事件だろうか。
「ほかのコロニー行きの電車かも知れん。引き上げるぞ」
「おい、そこのお前!」
「俺?」
「いまのことは忘れた。忘れたな?」
警官はさっきの機械を取り出し、今度は俺に白い光を浴びせた。チカチカする不連続な光が、俺の網膜に飛び込んでくる。頭が、少しぼんやりしてきた。
「よし、行くぞ!」
警官は騒々しい空気を残したまま、クルーザーに乗り込むと、また車内は何事もなかったかのように静まり返った。
『お待たせ致しました。発車いたします』
車内アナウンスもまた、何事もないかのような放送をすると、電車はするすると動き出した。何だったんだ、いまのは。
「しっかし、失礼な連中だな。警官ってのはいつの時代もああなのかよ」
まあ、俺も警察の立場だったら、同じような行動を取るだろうけどな。そう思いながら、また誰もいなくなった車内を見回す。窓の外からは、いつもの星たちがちらちらと俺に向かって光を投げかけている。
軽く息を吐き出すと、シートに深く腰掛けて足を組んだ。
「んで、話の続きを聞こうじゃないか」
自分の左足のつま先を見ながら、俺は話しかけるように、思念を飛ばした。
「ありがとう。黙っていてくれて」
「いや、なに」
「でも、さすがはオールドタイプだね。洗脳自白にも強制忘却にも引っかからないなんて」
「なんのこった」
「ボクはシェルミー」
「シェルミーか。よろしく」
「こちらこそ。次会える約束はできないけどね」
「お前は追われているようだが。車上荒らしでもやらかしたか?」
「宮本、これを」
俺とつま先をつなぐ視線の間に、すっと金色に輝くカードが入り込み、浮かんでいる。ホログラムか? そんな疑念を感じつつ、俺はカードを手に取った。実体だ。すばやくそれをポケットにしまおうとして・・・服を着ていないことに気がついた。
「何これ?」
「ビッグマザー陛下から、宮本に」
「ビッグマザー?」
「”望まれた大地”に着いたら、これを使えって」
「よく分からないが、よく分かった。頭に入れておこう」
「いつも陛下は、皆を見ておられる。それを忘れないで」
「期待に応えられるよう、努力するよ」
「じゃ・・・ボクはこれで」
「これでって、ここは宇宙空間だぞ」
「大丈夫。ボクには<力>があるから」
「力?」
「宮本とは違う<力>を、ボクは持っているよ」
「お前とはじっくり話してみたいところだが、そうもいかないようだな」
窓の外には、ひときわ大きい茶色く美しい縞模様をした球体が、太陽の光を浴びて三日月のように輝いたまま、少しずつその雄姿を電車に近づけつつあるのが見える。どうやら退屈な電車の旅も終わりに近づいているようだ。
「それじゃあ。いつか、ゆっくり君と話し合えるといいね」
「シェルミー。お前もな。とっ捕まるんじゃねえぞ」
「フフ、ボクはそんなヘマはしないよ」
耳元で、軽い空気の揺らぎを感じる。行ったか。金色のカードを持つ手がしっとりと、汗ばんでいた。
「落っことさないようにしないとな・・・」
電車は、徐々に減速しながら、木星軌道上にあるニューメンフィスへと入っていった。
|