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『我々に残されている手段は、立ち上がることだけだった。しかし、手に取るべき武器も、口に入れるべき食べ物も、帰るべき場所もない。かつて語り合った友は敵となり、昨日乾杯したビールは涙となった。この絶望の谷底から這い上がる手段は、いま、私が私であるという事実、それだけだった』
−−宇宙世紀 370年 6月 10日 惑星クレディア総督 和田重樹 回想録より
ニューメンフィス駅に降り立つと、そこはどこかで見た日常の風景だった。
宇宙各地にあるらしいコロニーへ向けた電車が止まるプラットフォームが何本も並び、電車を待つ人の列、売店で駅売りの菓子を買う人の群れ、乗り換えを急ぐ人の波、電車の到着を告げるアナウンス音が交錯し、慌しい夕方のラッシュを再現していた。
乗り継ぐところに人が集まる、この構造は何年経っても変わらないものらしい。言われてみれば、俺が生きていた21世紀のはるか前も、ローマやイスタンブールやロンドンでは石畳を走り回る駅馬車や荷車が雑踏という賑わいを作っていたという。人が人である限り、都市というものは混雑する宿命なのだろうか。
さて、俺はどこに行くのだろう、と思った矢先、目の前に小さなパネルが表示された。何だこれは。パネルには立体の駅の構造が映し出され、行くべき場所をオレンジ色の光で示している。
『<行政サービス:地域案内所> ”のびのびと 走るわたしが 守るマナー” ニューメンフィス交通局 提供:クリーク通商』
公共機関の標語にセンスがないことと、広告はうざいということに時代の旧新は関係ないことだけはよく分かった。ラッシュアワーを懐かしむように、ゆっくりと地域案内所へと歩いていく。
駅構内にきらめく色とりどりの広告を見ながら、人の流れに乗って地域案内所とやらに向かう。見たこともない、長いポールの先に大きなスクリーンがついた製品の広告やら、若い男女が肩を抱き寄せながら薬物を飲んでいる広告が次々と映し出される。何だか新鮮だが、何を売っているのかが分からない。
駅構内を歩くこと五分ほど、”地域案内所”とやらの前に来ると、ガイドらしき女性の姿が浮かび上がる。
「いらっしゃいませ。宇宙コロニー・ニューメンフィス地域案内所へようこそ。必要とされるサービスに触れてください」
必要とされるサービスと言われてもな。俺はどこで何をすればよいのかすら分からん。メニューには宿泊案内からレンタルモービルの手配、就職案内にレストラン情報、さらには恋人が欲しい貴方に、夜のニューメンフィス名店街、自殺をお考えの前に知って頂きたいこと、まである。おや、下のほうに身分照会とかいうのがある。これかな。
「宮本幸司様、ようこそ。こちらにお入りください」
「おわっ」
目の前のパネルに書かれた女の人がドアの表示になったかと思うと、いきなり開いて制服を着た警官が日の丸のついたデスクの前に座っているという、色気も味気もない殺風景な現実が目の前に現れた。
「な、なんだいこれは・・・」
驚きに目を見開く俺を、デスクの向こう側に座っている恰幅の良い警察官が笑いながら導く。「どうした、そんなに驚いて」
「これを驚かんほうがどうかしている」
「まあそう憤りなさんな。鉄道警察の交番があると景観が悪いと言うことで無人案内所を看板にサービスを展開しているのだ」
「そんなもんなのか」
「市民生活を守るのに威圧感は要らないからな」警官は笑ったまま立ち上がる。
「これじゃ高利貸しの無人契約機みたいなもんじゃないか」
「そう腐るな。宮本さんだね」
「そうだが」
「じゃ、着替えてもらおうか。ここのコロニーは駅から出るとホログラムサービスは履行されない」
警官はそう言うと、小さな包みを俺に渡した。彼が指差す親指の向こうには更衣室らしき小部屋がドアを開けたまま俺をいざなう。
包みを受け取って、小部屋に入りドアを閉めると、小さな鏡とうつろな照明があるだけの些細な空間が、観光気分の俺を正気に引き戻す。鏡には、裸の俺。いや、それだけではない。ボサボサの髪に、汚れきった足元、三日は剃ってないと思しき不精髭に、顔にくっきりと、ピエロのように残った涙の跡。これでは未開人そのものではないか。まさかいままで街中を裸で歩いてきたんじゃあるまいな、と思って、思い直した。
小部屋のドアをそっと開け、腕を出してみた。ドアのところからはみ出た右腕のところだけ正確に、さっきまで着ていた藍色のホログラムの袖が映し出されている。何度か右腕を出し入れしてみる。左手に握った金色のカードはしっかりと手に持ったままで。
「どうした?」警官が声をかける。
「いや、確認事項だ」
「ごゆっくり」
ドアを閉めようとして、もうひとつ言いたいことがあるのに気がついた。
「なあ、シャワーとかはここにないのか?」
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市長は多忙である。コロニー周辺のエネルギープラントや市営の鉱山プラントの経営をはじめ、市内の公共機関の運営、市議会対策、予算案の策定、市条例の実施、有権者の陳情に紛争の調停、市民生活に関わるあらゆる意思決定が市長を待ち構えている。
市長であるハガァーは、二メートルは超えようかと言う立派な体格を質素な椅子の上に置き、コントロールパネルに向かって静かに作業をしていた。市長となって四期目、政治家として脂の乗っている時期であった。最初の頃は何をしていいのか分からず、”筋肉だるま”だの”役立たずプロレスラー”だの散々な評価に甘んじることとなったが、己の娘を市の不良少年グループにさらわれて状況は一転した。ハガァー市長自ら彼らのねぐらを急襲、娘の救出に成功したのをマスメディアが美談として報道し、支持率が驚きの急回復。余勢を駆って対抗勢力を選挙で蹴散らし、いまや堂々たる有能な為政者としてニューメンフィスを切り盛りしていた。
何より、木星軌道上にあるニューメンフィスは、宇宙船の収容能力に問題のある地球の玄関口として商業の拠点となり、ここ十数年間すさまじい成長を遂げた。もちろん、ハガァーが市長に就任する前から、宇宙連合会議(コズミック・ユニオン)の座長として伝統的に宇宙開発、移民政策の利益代表する立場もあったが、それ以上に多くの民間企業が経済、通商の拠点としてニューメンフィスに本社を置き、優秀な技術者を求めて開発を行った結果、毎日のように膨大な富がニューメンフィスに積み上げられていく。
ハガァーの仕事は、そんな膨れ上がる企業と人口を問題のないように裁いていく手腕を発揮することであり、かつ、地球連邦の要請に応じて少なくない人口を地球から引き受け、開発星系へと送り出すことで地球との関係も良好に保っていた。年間数億人の人口が、ニューメンフィスから他コロニーへ、そして太陽系を出てはるか数百、数千光年先にある他開発星系へと旅立っていく。
それでも、最近の政治情勢はハガァーの政治的能力のキャパシティーを上回り始めていた。地球連邦の独立星系に対するまさかの宣戦布告、そして”人的資源保全プロジェクト”の停止。それでもハガァーは思っていた。まあ、何とかなるだろう、はっはっは、と。この優れた為政者は、底抜けの楽観性と指導力で、いま歴史に名前を刻んでいる最中なのである。
テーブルサイドにある時代遅れのテレビ付フォンが来客を知らせる。どうやら秘書官のシンシア・ホステトラー女史が客を連れてきたらしい。入室を許可すると、間もなくシンシアは見知らぬ若い東洋人を部屋に伴って入ってきた。
「やあやあ、かけたまえ」ハガァーは椅子から立ち上がりながら鷹揚に言うと、シンシアと客はソファに腰掛ける。「私が市長を勤めているハガァーだ」
手ごろな調度品が揃えられたオフィスは、それでも大柄なハガァーには似合わぬコンパクトな空間だった。窓の外から見下ろすニューメンフィスの市街が発する広告やビルの窓の明かりがきらきらとした繁栄を象徴していた。
「俺が噂のオールドタイプ様だ」ハガァーに臆することなく、男は名乗った。じっとハガァーを見据えている。良い目をしている。
「はっはっは、それではさしづめ私はニュータイプってところだな」
「まさか、自分の車を赤く塗って”三倍速い”とか言ってないだろうな」
ハガァーはギクッとした表情で答える。「・・・私はそんなことはしない」
シンシアが咳払いをすると、我に返ったようにハガァーが話し始める。
「宮本幸司君だったね」
「ああ。間違いない」
「君の身分は、これからニューメンフィス市が保証する」
「そんなことより、ひとつ聞いていいか?」
「何だ」
「この服装は何だ」宮本は、自分の服装に抗議した。
「それは、日本領ニューメンフィスに代々伝わっている、学生の身分を保証するための制服だ」
「つーか、これ学ランじゃねえか。これじゃ俺は高校生に逆戻りだぞ。しかも爪入りで丸帽つきだ。これを毎日被って登校すんのか? 二十歳にもなってコスプレさせんなよ」
「良く似合っているではないか」
「そういう問題じゃねえだろ」
「そういう問題だ」ハガァーは強大な胸を威厳を持って反らした。「服というものは、似合う者にのみ、着こなす価値を持つ」
シンシアは溜息をついた。また市長の悪い癖だわ。とにかく負けず嫌いの市長は、議会でもどこでもつまらないことで口論をする。しかも、意味のないところで抗弁するので、その議論は口げんかの領域を出ることはなく、結果として何の意味も成さない徒労に終わることの方がはるかに多いのだった。一方で、ハガァーは政治家として重要な事項については争わないため失言に結びつくこともなく、結果として政治家としての寿命を延ばすこととなった。
「とにかく」シンシアは話を戻した。「宮本さんは、これから市職員の身分で、一ヶ月間の研修を受けて頂きます」
「研修?」
「うむ、思い切り勉強してこい」ハガァーは豪快に笑った。「たくさん学んで、良い友だちをたくさん作って来い。それが、お前のこれからに役立つことだろう」
友だち、という単語を聞いて、宮本はぼんやりとるなを思い出していた。
「身の回りのことなどは、シンシアに遠慮なく聞いてくれ。それと、B-18居住区は繁華街に近い。くれぐれも問題を起こしてくれるなよ」
「そういや、あんた市長って言ってたな」
「いかにも」
「これから戦争だそうだが、いったいどうなるんだ?」
シンシアはハガァーを見た。一瞬だけ、ハガァーは表情を変えたが、すぐに元のハガァーに戻り、シンシアをちらりと目をやった後、宮本を見据えた。
「どうにもならん」
「あ?」
「どうにもならんのだ」
「何でだ? どうにかする立場に、いまあんたはいるんじゃないのか?」
「そうだなあ」
ハガァーは、視線を天井に向けた。どういえば、この目の前の青年は自分の心境を理解してくれるだろう。そんな表情だった。
「蟻が、自分の親を殺された。蟻はどう感じるだろうな」
「そりゃ、蟻は怒るだろう」
「そうだな。しかし、蟻の親を殺したのが、象だったらどうかね」ハガァーは、強い視線で宮本を見た。
「どうにもならない」
「そう、どうにもならんのだ」
ハガァーは、いつになく穏やかな口調で話し始めた。
「その蟻が、できることはひとつだ。自分の子が、自分と同じ悲しい思いをしないように、象に気をつけて暮らすことだ」
何を話し出すかと気を揉むシンシアの横で、ああこのおっさんは俺に説明するというより自分を説得してやがるんかな、と宮本は思った。
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「いいですか、宮本さん」
「分かった、分かったって」
シンシアはまだ怒りが収まらない様子だ。とにかく俺の市長に対する物言いが気に入らないらしい。
「市長に対して、本当に失礼な言葉遣いです。いけません」
市内を走るオートモービルで、シンシアと二人で俺は宿舎に向かっていた。道中、いろいろ説明を受けるはずが、説教されるはめになってしまった。初日からこれか。頂けない。実に頂けない。
「なあ、さっきのおっさんはそんなに偉い人なのか?」
そう質問しようとして、のどのところまで出掛かったが、俺は飲み込んだ。これ以上、市長について聞き質しても冷静に答えてくれる期待は乏しかった。前にあるコントロールパネルの時間は、もうすぐ2200になろうとしていた。市長にしてもこのおばさんにしても、毎日こんな生活を送っているのだろうか。ご苦労なことだ。
「明日、0700には必ず支度をして自室で待っていてください。分かりましたね?」
「へいへい」
居住エリアB-18まで、市庁舎から三十分ほどだそうだ。いまの時点で分かっていることは、俺は明日から一ヶ月間、研修とやらを受けるということと、とりあえず雨露を防げる宿は提供されるということだけだったが、だいぶ自分の心の下のほうに固まっていた不安感はだいぶ払拭された気がする。とにかく、何があろうと前に進むだけだ。そう思うと、かなり気持ちは楽になった。
灰色のオートモービルは静かな音を立てて、夜のニューメンフィスの街を走り抜けていった。
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